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那覇市長選はオール沖縄終焉の始まり2

那覇市長選はオール沖縄終焉の始まり2


2017年宮古市長選の時にオール沖縄内で分裂が起こった。分裂を仕掛けたのは共産党であり、共産党の言いなりになったのが翁長故知事であった。
 オール沖縄は医師で宮古地区医師会会長の下地晃氏(62)の擁立を決定した。下地氏は自衛隊の宮古島基地建設を容認していた。下地氏擁立に反対したのが共産党である。共産党は自衛隊基地建設に反対だった。だから、自衛隊基地を容認する下地氏を擁立するのに反対したのだ。要求が受け入れられなかった共産党は前沖縄県議の奥平一夫氏(67)を擁立した。奥平氏は基地建設に反対を選挙公約にした。共産党が擁立した奥平氏を応援したのが翁長故知事である。共産党の圧力に従ったのである。
 共産党は反米軍、反自衛隊に徹底している。自衛隊基地建設は一切容認しない。しかし、他の政党は妥協もする。オール沖縄内でも共産党以外の政党ば宮古島の自衛隊基地建設を容認していたのである。共産党と他の左翼との対立がすでにあったのだ。
 オール沖縄は保守系、左翼系だけでなく。左翼系で共産党と他の政党が対立していた。そのような状況の中で保守は次々とオール沖縄を離脱していった。オール沖縄は崩壊したのである。オール沖縄の崩壊についても「内なる民主主義17」で書いた。

呉屋金秀会長の共同代表辞任はオール沖縄崩壊の始まりではない終わりである

 金秀グループの呉屋守將会長は3月1日までに、沖縄県名護市辺野古の新基地建設に反対する「オール沖縄会議」の共同代表を辞任する意向を同会議に伝えた。呉屋金秀代表が辞任する理由は稲嶺進前市長の落選にあると述べている。呉屋金秀会長は共同代表の立場で2月の名護市長選で辺野古移設反対の稲嶺進前市長を支援したが落選した。落選の引責を理由に辞任を決めたのである。共同代表の辞任だけであれば落選の責任を取ったと考えられるが、オール同会議は呉屋氏に対し、2月27日の会合で顧問への就任を打診したが、その顧問も固辞した。そして、沖縄タイムスの取材に「辺野古反対に変わりはない。中道・リベラルの立場から翁長雄志知事を支援する」と述べた後に、なんと沖縄に理解を示す県外の自民党国会議員の後援会を県内で立ち上げたい考えを示した。呉屋金秀代表は沖縄県ではなく県外の自民党国会議員の後援会の組織を立ち上げるというのである。ということは、呉屋金秀会長は反安部政権であるオール沖縄から実質的な離脱をするということである。つまりオール沖縄との決別である。


 稲嶺前市長の落選を理由に共同代表を辞任するのは、本当はオール沖縄から離脱する口実なのだ。稲嶺前市長が当選していても、直ぐに辞任することはしなかったはずであるが、いずれは辞任してオール沖縄を離脱したはずである。
呉屋金秀会長はオール沖縄から離脱しなければならない事態に追い込まれていた。原因は共産党の存在である。共産党が主導権を握っているオール沖縄から呉屋金秀会長が離脱するのは当然である。不思議なことではない。


 オール沖縄を主導しているのは共産党である。共産党と経済界は敵対関係であり両者が共闘することは不可能だ。金秀グループが共産党と共闘したことに矛盾があった。共産党が翁長知事の言うように「イデオロギーを腹八分六分にして沖縄アイデンティティで共闘する」政党であったら共闘してもお互い妥協しながらオール沖縄を継続していくことができたはずであるが、共産党はイデオロギーの塊である。イデオロギーを腹八分六分にするような政党ではない。イデオロギー100%に徹している政党が共産党である。金秀グループの共産党との共闘はいずれは破綻する運命にあった。破綻する運命の共闘であったから運命通りに破綻したのである。破綻したから呉屋金秀会長はオール沖縄を離脱したのである。


 呉屋金秀会長のオール沖縄離脱を決定づけたのが安慶田副知事の辞任である。
 翁長知事の左手には共産党、社民党、社大党などの左系が存在し、右手には安慶田元副知事、新風会の保守政治家と金秀グループ、かりゆしなどの経営陣グループが存在していた。
 右手側の経営陣にとって公共工事関係は重要な収入源であり安倍政権とのつながりを維持していく必要がある。安倍政権とのつながりを密接にしていたのが安慶田元副知事であった。しかし、左手側に存在するイデオロギー100%の共産党は安倍政権打倒を目標としている。共産党は翁長知事が安倍政権とつながることを嫌い、陰謀で安慶田元副知事を排除した。安慶田元副知事を辞任させた後に着任させた新しい副知事は沖縄国際大元学長で県政策参与の富川盛武氏(69)であるが、いうまでもなく富川氏は左系の人物であり反安部政権である。
 共産党を中心とした左系の策謀によって、翁長知事の周囲は左系で埋められ、安倍政権とのつながりは絶たれた。


 政治家である翁長知事は共産党の支持なしには知事の座に居座り続けることはできないから、ますます共産党のいいなりになっていかなければならなくなった。逆に言えば安倍政権とのつながりを絶たれても共産党のいいなりになっていれば知事の座は安定する。しかし、安慶田元副知事の辞任は金秀グループにとって死活問題であり、大きな衝撃であった。安部政権とのつながりが絶たれた翁長知事県政を支持するオール沖縄に金秀グループが参加するメリットがなくなったのである。むしろ、オール沖縄に参加することが経営にはマイナスになってしまう。
 翁長知事は県政を維持するために共産党との共闘は必要であるが金秀グループにとってはマイナスにしかならない。
 安慶田副知事が辞任した時に呉屋金秀会長はオール沖縄からの離脱を決心したはずである。
 呉屋金秀会長はオール沖縄の共同代表の辞任の理由を稲嶺進前市長の落選と言っているが、それは口実である。落選の責任を取って辞任し、オール沖縄に留まる気持ちがあれば会議で要請された顧問を引き受けるはずである。しかし、呉屋金秀会長は顧問に就くことを固辞した。固辞した原因ははさきりしている。呉屋金秀会長が共産党との共闘を強制されるオール沖縄からの離脱を決心していたからである。オール沖縄離脱を決心していたことは、呉屋金秀会長が新しい組織を5月に発足すると述べていることから分かる。
 呉屋金秀会長は、「5月に沖縄の立場を理解する自民党政治家の後援会を立ち上げる予定」であると記者に話し、その自民党政治家を山崎拓元自民党副総裁に紹介してもらったと述べている。自民党と離別した翁長知事を支持している呉屋金秀会長が自民党政治家の後援会を立ち上げることは困難であるし、長い準備期間が必要である。名護市長選が終わってから一カ月も経ていないのに山崎拓元自民党副総裁と相談して後援会を立ち上げることができるはずがない。ところが新しい組織を5月に立ち上げる。
 呉屋金秀会長は安慶田元副知事が辞任に追いやられた時からオール沖縄離脱を考え、安倍政権とのつながりを維持するために別の組織を立ち上げる準備をしていたと予想するのが自然である。
 呉屋金秀会長は名護市長選のずっと前からオール沖縄離脱を考え、自民党とつながりが持てる新しい組織を模索していたのである。


 呉屋金秀会長の弟で渡具知候補支持に回った者が居るという噂を名護市長選挙期間中に聞いたことがあった。金秀グループのオール沖縄離れはすでに始まっていたのだ。
呉屋金秀会長のオール沖縄共同代表辞任はオール沖縄の崩壊を意味する。崩壊の始まりではない。崩壊はすでに始まっていた。
       「内なる民主主義17」
金秀グループは2021年にオール沖縄を離脱した。那覇副市長の知念覚氏(59)がオール沖縄を離脱して県連推薦で市長選に立候補し、城間那覇市長が知念氏を支持した。これでオール沖縄は有名無実になったのである。翁長雄治推薦はオール沖縄を消して、立民・共産・れいわ・社民・社大の政党名だけにすればいい。
那覇市民はオール沖縄を創立した故翁長知事の息子である翁長雄治を選ばなかったのである。那覇市民にとつてオール沖縄は有名無実になったのである。


オール沖縄を消滅させた犯人が共産党である。共産党は反米軍・反自衛隊イデオロギーである東京本部から指令に従う。他の政党のように妥協はしない。選挙に勝つことも考えない。イデオロギー一筋である。だから、オール沖縄の那覇軍港移転賛成に反対して浦添市長選に独自の候補を立てたのだ。左傾の辺野古移設反対派の中で那覇軍港移設については共産党と他の政党の対立が顕著になった。


国会では憲法の国民投票をめぐって共産党は立憲民主と対立するようになった。立憲民主は共産党から離れ維新の会と立法、憲法改正で共闘していくだろう。共産党は孤立していく。