hijaiのブログ

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高市内閣は高支持率64.9% その上1.9ポイント上昇  素晴しい

hijai

高市内閣は高支持率64.9% その上1.9ポイント上昇  素晴しい 


JNN世論調査で高市内閣の支持率が64.9%であり、前

回より 1.9ポイント上昇したという。高支持率だから下がるのが普通であるが高市内閣は上昇したのである。素晴らしい。

 高市内閣は1年が過ぎた。1年が過ぎても64.9%の

高支持率である。高市内閣は国民が本当に支持することができる政治をやっているということである。素晴らしい。

 支持率が高いのは国民が望んでいる政治をやっているからである。これからも国民の望む政治をやっいってほしい。



各党の支持率は以下の通り。

自民  32.9%(1.8↓)

維新  3.7%(0.5↑)

国民  3.2%(0.3↑)

立憲  2.1%(0.4↓)

参政  3.6%(0.2↑)

公明  2.1%(0.7↓)

民改  0.7%(0.3↑)

みらい 1.4%(0.8↑)

共産  2.0%(0.5↓)

いのち 0.5%(0.2↑)

保守  1.0%(0.2↑)

社民  0.4%(0.1↑)

その他 0.7%(0.1↑)

支持なし42.7%(1.3↑)


 少数政党がとても多い。原因は左翼系の立憲が衆議院選挙で大敗し分裂したからだ。社民、共産の左翼系政党も議員が減った。そして、保守系の政党が増え、支持率も増えた。

 維新、国民に加え、新しい保守政党の参政の支持率が立憲よりも高くなっている。左翼は消滅の方向に進んでいる。保守系野党政党の支持率は高くなり、将来は自民党と対抗する保守連合政党ができるだろう。

共産党が社会主義から民主主義になった めでたしめでたし

hijai

共産党が社会主義から民主主義になった めでたしめでたし


 社会主義である共産党が突然「レーニン・マルクス主義」からレーニン主義を排除して「マルクス主義」になった。

田村委員長は「(科学的社会主義の創始者)マルクスが資本主義の問題を徹底的に解明して未来社会を展望したのを(ロシア革命の指導者)レーニンがゆがめた。搾取をなくして人間が自由に発展していくというマルクスが主張した一番の輝きの所をレーニンはそぎ落としてしまった」と述べた。

マルクスは「人間の自由をあらゆる意味で豊かに保障し開花させることにある」と位置付けていた。ところがレーニンの社会主義は人間の自由を奪った。

 共産党はレーニンの社会主義を否定したのである。


 レーニンは資本主義が労働者を搾取するのをなくすために共産主義者だけの政党によって政治をする共産党一党独裁国家を摂津するというのを「国家と革命」を読んだ時、反発した。独裁国家が労働者や国民を自由にするとは思えなかった。国家は選挙で政治家を選出するのが民主的であり、民主的な国家が一番いいと思ったからだ。今の共産党と同じである。

 共産党が社会主義から民主主義になったのである。共産党は「レーニン・マルクス主義」になったが、無名だったマルクスを世界的に有名にしたのはレーニンである。レーニンがいなければほとんどの人はマルクスを知らなかった。皆さんは信じないと思うが本当である。マルクスは無名の哲学者であり、実は生存している時には資本論の第一部しか出版していない。マルクスの死後、彼の友人であったフリードリヒ・エンゲルスがマルクスが残した膨大なメモや草稿を解読・編集して、1885年に第2部を、1894年に第3部を刊行した。『資本論』という本の名前はエンゲルスがつけたものである。死んだマルクスのメモや草稿を整理して編集したのが資本論である。資本論は無名に近い本であった。資本論を有名にしたのがレーニンなのだ。レーニンは資本論書かれている「搾取」のみにを注目した。

そして、搾取をなくすのが社会主義国家であると断言して共産党一党独裁のソ連を創立したのである。


                                                 つづく

共産党が社会主義から民主主義になった めでたしめでたし

hijai

共産党が社会主義から民主主義になった めでたしめでたし


 社会主義である共産党が突然「レーニン・マルクス主義」からレーニン主義を排除して「マルクス主義」になった。

田村委員長は「(科学的社会主義の創始者)マルクスが資本主義の問題を徹底的に解明して未来社会を展望したのを(ロシア革命の指導者)レーニンがゆがめた。搾取をなくして人間が自由に発展していくというマルクスが主張した一番の輝きの所をレーニンはそぎ落としてしまった」と述べた。

マルクスは「人間の自由をあらゆる意味で豊かに保障し開花させることにある」と位置付けていた。ところがレーニンの社会主義は人間の自由を奪った。

 共産党はレーニンの社会主義を否定したのである。


 レーニンは資本主義が労働者を搾取するのをなくすために共産主義者だけの政党によって政治をする共産党一党独裁国家を摂津するというのを「国家と革命」を読んだ時、反発した。独裁国家が労働者や国民を自由にするとは思えなかった。国家は選挙で政治家を選出するのが民主的であり、民主的な国家が一番いいと思ったからだ。今の共産党と同じである。

 共産党が社会主義から民主主義になったのである。共産党は「レーニン・マルクス主義」になったが、無名だったマルクスを世界的に有名にしたのはレーニンである。レーニンがいなければほとんどの人はマルクスを知らなかった。皆さんは信じないと思うが本当である。マルクスは無名の哲学者であり、実は生存している時には資本論の第一部しか出版していない。マルクスの死後、彼の友人であったフリードリヒ・エンゲルスがマルクスが残した膨大なメモや草稿を解読・編集して、1885年に第2部を、1894年に第3部を刊行した。『資本論』という本の名前はエンゲルスがつけたものである。死んだマルクスのメモや草稿を整理して編集したのが資本論である。資本論は無名に近い本であった。資本論を有名にしたのがレーニンなのだ。レーニンは資本論書かれている「搾取」のみにを注目した。

そして、搾取をなくすのが社会主義国家であると断言して共産党一党独裁のソ連を創立したのである。


                                                 つづく