hijaiのブログ

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沖縄タイムス編集委員・阿部岳がひろゆき氏に白旗を上げた

沖縄タイムス編集委員・阿部岳がひろゆき氏に白旗を上げた


 プレジデントは、「座り込み」の定義や基地反対運動をめぐる激論が交わされたのはご存知の通りだが、結果から言うと、いつも通り、ひろゆき氏の「圧勝」で終わっていると評している。その事実はひろゆき氏と論争した沖縄タイムス編集委員・阿部岳も認めざるを得ないほどのひろゆき氏の圧勝であった。


阿部氏がひろゆき氏に白旗を上げた。ひろゆき氏のツイッター掲載されている阿部氏の文章である。


ひろゆき氏の言動で結果的に辺野古に注目が集まり、いい面もあったのでは?と聞かれることが結構ある。よくないです。圧倒的多数の嘲笑に深く傷つき、眠れない人、目に涙をためて何も言えない人に、日々会っている。


 阿部氏を嘲笑したのではない。阿部氏はひろゆき氏支持を阿部嘲笑と見なすのである。圧倒的多数がひろゆき氏を支持したことを阿部氏は圧倒的多数が阿部氏を嘲笑したと決めつけるのである。阿部氏の被害妄想である。
「眠れない人、目に涙をためて何も言えない人に、日々会っている」は「嘲笑」と同じように阿部氏のでっち上げである。キャンプ・シュワブで座り込み運動をしている者でひろゆき氏のツイッターを見ている者はほとんどいないだろう。二人の口喧嘩を真剣に考えている現場の運動家はいない。


キャンプ・シュワブの現場では看板を新しくして、一日3回の座り込みを徹底するようになった。ひろゆき氏の「0日にしたら」という批判に行動で跳ね返したのである。キャンプ・シュワブの運動家たちは目に涙をためるどころか胸を張っている。彼らは強くて図々しい精神の持ち主だ。。
ひろゆき氏との議論で敗北したことを認めているのは阿部氏だけである。、「目に涙をためて何も言えない人」は阿部氏の心に居るもう一人の自分である。
 阿部氏は自分の城であるタイムスでも敗北を認める文章を掲載した。「『論破王』ひろゆき氏との論戦 出演依頼に迷ったが・・・記者が引き受けて身をさらした理由」である。


迷った時は原点に帰る。ジャーナリズムは何のためにあるのか。権力が暴走しないように監視する、戦争を止める。いろいろあるが、突き詰めれば人権を守るのが仕事ということになる。
 辺野古新基地建設に対する抗議行動は、人権を守りたい、というごく当然の願いがかなわない沖縄の長い苦闘を象徴している。一方、「0日にした方がよくない?」というツイートに始まるひろゆき氏の嘲笑は、数の力で沖縄に犠牲を強いて恥じない日本の姿を象徴していた。
             沖縄タイムス
 キャンブ・シュワブの新基地建設反対座り込み闘争は沖縄人が主導して立ち上げた運動ではない。東京の共産党、社民党などの本土左翼が主導している運動である。本土の指示に従って運動しているのが沖縄の新基地建設反対運動であるのだ。
 普天間飛行場を移設するのだから移設建設が正しい。しかし、それでは反米軍基地運動としてはアピールできない。だから米軍基地が増設されるのをイメージさせるために新基地というのである。そんな嘘をつくりあげるのは沖縄人にはできない。東京の反米軍の左翼がつくる。沖縄の反基地運動は本土の左翼運動の配下にある。左翼運動をバックアップしているのが沖縄タイムスと琉球新報である。


阿部氏は東京人である。沖縄人ではない。阿部氏は「権力が暴走しないように監視する」と述べている。それは戦後本土の左系マスコミのキャッチフレーズである。阿部氏は権力の暴走を監視して戦争を止める。そして、人権を守るのがジャーナリストである自分の仕事であると述べている。
ひろゆき氏は権力者ではない。政治家でもない。ネットで自分の考えを主張をしている表現者である。ひろゆき氏との論戦は阿部氏の「人権を守る」こととは全然関係ない論戦である。そもそもひろゆき氏はキャンプ・シュワブ前の立て看板の「座り込み日数」の書き方を批判しただけである。辺野古新基地反対を批判しわけではない。ひろゆき氏は辺野古新基地建設、沖縄の米軍基地についてはなにも言っていない。それなのにひろゆき氏は新基地反対運動に批判している、米軍基地反対を批判していると阿部氏は拡大解釈をしている。
辺野古基地は普天飛行場移設が目的である。宜野湾市民の騒音被害、生命の危険性をなくすのが目的である。辺野古新基地建設は宜野湾市民の人権を守るのが目的である。阿部氏がジャーナリスズムの原点に戻るならば辺野古新基地は人権を守るためであることを報道しなければならない。ところが阿部氏は普天間移設のことを隠し、辺野古民が移設に賛成であるのを隠し、移設基地を新基地と宣伝して新基地建設が沖縄に犠牲を強いていると嘘の理論をでっちあげたのである。


沖縄はタイムス、新報の天下である。でっち上げた嘘を自分の城であるタイムス紙上で思う存分に振りまいた。阿部氏を批判する投稿があれば踏みつぶすだけである。沖縄では敵なしであった。しかし、ひろゆき氏のツイッターは違った。ひろゆき氏のツイッターは読者の賛否や意見も取り入れる。読者が自由に参加できる。読者の意見を取捨選択するタイムスとは違う。阿部氏・タイムスへの読者の鋭い批判があった。阿部氏は読者のひろゆき氏への圧倒的な支持と鋭い批判にさらされたのである。
ひろゆき氏と論争すればするほど阿部氏が批判の嵐にさらされていく。敗北に敗北を重ねていく。そのことを知った安倍氏はひろゆき氏から逃げたのである。逃げた理由を正当化するためにタイムス紙上でいいわけをしたのである。
阿部氏は人権を守るタイムス記者になってほしい。中立の立場から右も左も平等に見た報道をしてほしい。実現不可能なことであるが一応書いておこう。


 プレジデントは、「座り込み」の定義や基地反対運動をめぐる激論が交わされたのはご存知の通りだが、結果から言うと、いつも通り、ひろゆき氏の「圧勝」で終わっていると評している。その事実はひろゆき氏と論争した沖縄タイムス編集委員・阿部岳も認めざるを得ないほどのひろゆき氏の圧勝であった。


阿部氏がひろゆき氏に白旗を上げた。ひろゆき氏のツイッター掲載されている阿部氏の文章である。


ひろゆき氏の言動で結果的に辺野古に注目が集まり、いい面もあったのでは?と聞かれることが結構ある。よくないです。圧倒的多数の嘲笑に深く傷つき、眠れない人、目に涙をためて何も言えない人に、日々会っている。


 阿部氏を嘲笑したのではない。阿部氏はひろゆき氏支持を阿部嘲笑と見なすのである。圧倒的多数がひろゆき氏を支持したことを阿部氏は圧倒的多数が阿部氏を嘲笑したと決めつけるのである。阿部氏の被害妄想である。
「眠れない人、目に涙をためて何も言えない人に、日々会っている」は「嘲笑」と同じように阿部氏のでっち上げである。キャンプ・シュワブで座り込み運動をしている者でひろゆき氏のツイッターを見ている者はほとんどいないだろう。二人の口喧嘩を真剣に考えている現場の運動家はいない。


キャンプ・シュワブの現場では看板を新しくして、一日3回の座り込みを徹底するようになった。ひろゆき氏の「0日にしたら」という批判に行動で跳ね返したのである。キャンプ・シュワブの運動家たちは目に涙をためるどころか胸を張っている。彼らは強くて図々しい精神の持ち主だ。。
ひろゆき氏との議論で敗北したことを認めているのは阿部氏だけである。、「目に涙をためて何も言えない人」は阿部氏の心に居るもう一人の自分である。
 阿部氏は自分の城であるタイムスでも敗北を認める文章を掲載した。「『論破王』ひろゆき氏との論戦 出演依頼に迷ったが・・・記者が引き受けて身をさらした理由」である。


迷った時は原点に帰る。ジャーナリズムは何のためにあるのか。権力が暴走しないように監視する、戦争を止める。いろいろあるが、突き詰めれば人権を守るのが仕事ということになる。
 辺野古新基地建設に対する抗議行動は、人権を守りたい、というごく当然の願いがかなわない沖縄の長い苦闘を象徴している。一方、「0日にした方がよくない?」というツイートに始まるひろゆき氏の嘲笑は、数の力で沖縄に犠牲を強いて恥じない日本の姿を象徴していた。
             沖縄タイムス
 キャンブ・シュワブの新基地建設反対座り込み闘争は沖縄人が主導して立ち上げた運動ではない。東京の共産党、社民党などの本土左翼が主導している運動である。本土の指示に従って運動しているのが沖縄の新基地建設反対運動であるのだ。
 普天間飛行場を移設するのだから移設建設が正しい。しかし、それでは反米軍基地運動としてはアピールできない。だから米軍基地が増設されるのをイメージさせるために新基地というのである。そんな嘘をつくりあげるのは沖縄人にはできない。東京の反米軍の左翼がつくる。沖縄の反基地運動は本土の左翼運動の配下にある。左翼運動をバックアップしているのが沖縄タイムスと琉球新報である。


阿部氏は東京人である。沖縄人ではない。阿部氏は「権力が暴走しないように監視する」と述べている。それは戦後本土の左系マスコミのキャッチフレーズである。阿部氏は権力の暴走を監視して戦争を止める。そして、人権を守るのがジャーナリストである自分の仕事であると述べている。
ひろゆき氏は権力者ではない。政治家でもない。ネットで自分の考えを主張をしている表現者である。ひろゆき氏との論戦は阿部氏の「人権を守る」こととは全然関係ない論戦である。そもそもひろゆき氏はキャンプ・シュワブ前の立て看板の「座り込み日数」の書き方を批判しただけである。辺野古新基地反対を批判しわけではない。ひろゆき氏は辺野古新基地建設、沖縄の米軍基地についてはなにも言っていない。それなのにひろゆき氏は新基地反対運動に批判している、米軍基地反対を批判していると阿部氏は拡大解釈をしている。
辺野古基地は普天飛行場移設が目的である。宜野湾市民の騒音被害、生命の危険性をなくすのが目的である。辺野古新基地建設は宜野湾市民の人権を守るのが目的である。阿部氏がジャーナリスズムの原点に戻るならば辺野古新基地は人権を守るためであることを報道しなければならない。ところが阿部氏は普天間移設のことを隠し、辺野古民が移設に賛成であるのを隠し、移設基地を新基地と宣伝して新基地建設が沖縄に犠牲を強いていると嘘の理論をでっちあげたのである。


沖縄はタイムス、新報の天下である。でっち上げた嘘を自分の城であるタイムス紙上で思う存分に振りまいた。阿部氏を批判する投稿があれば踏みつぶすだけである。沖縄では敵なしであった。しかし、ひろゆき氏のツイッターは違った。ひろゆき氏のツイッターは読者の賛否や意見も取り入れる。読者が自由に参加できる。読者の意見を取捨選択するタイムスとは違う。阿部氏・タイムスへの読者の鋭い批判があった。阿部氏は読者のひろゆき氏への圧倒的な支持と鋭い批判にさらされたのである。
ひろゆき氏と論争すればするほど阿部氏が批判の嵐にさらされていく。敗北に敗北を重ねていく。そのことを知った安倍氏はひろゆき氏から逃げたのである。逃げた理由を正当化するためにタイムス紙上でいいわけをしたのである。
阿部氏は人権を守るタイムス記者になってほしい。中立の立場から右も左も平等に見た報道をしてほしい。実現不可能なことであるが一応書いておこう。