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世界 民主主義の戦い

世界 民主主義の戦い


ロシア
ロシアは、大統領、国会議員は国民の選挙で選ぶ。議会は国家院と連邦院の二院からなる議院内閣制である。プーチン大統領は国民が選んだ。しかし、プーチン大統領は独裁者と呼ばれている。国民の選挙で選ばれているにも関わらず独裁者なのである。
プーチン大統領は対立する候補を暗殺したり、刑務所に送り、対抗馬を排除していった。プーチン大統領が確実に選出されるようにしたのである。ロシアは議会制民
主主義の形態ではあるが実態はプーチン独裁国家である。議会はプーチンの要求する法律を制定するプーチン独裁下請け機関である。
タイ
 タイは立憲君主制である。1932年6月24日にタイ王国(シャム王国)で勃発した立憲革命は、タイを絶対君主制から立憲君主制へと移行させた。 革命は、主に平民出身で構成された文民と軍人の官僚により組織された人民党によって行われた。文民と軍部の対立が激しくなっていき、政権維持に不利になると軍部はクーデターを起こして文民勢力を弾圧した。。
 2006年タイ王国軍の反タクシン首相派の将校が下士官・兵士を率いて、タクシン政権を倒した。タクシン氏を国外追放した。
 2014年の軍事クーデター。2011年の総選挙でタイ貢献党が勝利し、第31代首相のタクシン・チナワットの妹であるインラック・シナワトラが第36代首相に就任したが軍部の圧力で失職した。2014年に行われた総選挙は反政府派(軍部関係集団)による妨害で一部選挙区では投票が行えず、選挙が無効になった。軍部による政権が続いた。
ミャンマー
 2020年の総選挙でスーチー氏の国民民主連盟が圧勝した。民主派の圧勝に危機を抱いた軍部はクーデターを起こし、スーチー氏や幹部を拘束して権力を奪った。軍部が支配するミャンマーである。


 ロシア、タイ、ミャンマーは選挙、議院内閣制という民主主義の形態でありながら、実態は武力で支配する独裁体制になっている。民主派の人民には武器がない。例え、選挙で勝利しても武器を持つ軍部が武力で人民を支配する。人民が民主主義を獲得するには武器を持つ軍部を倒さなければならない。その戦いがロシア、タイ、ミャンマーで展開している。


 ロシアはプーチン大統領の独裁支配が徹底している。マスコミ、政治、経済がプーチンの独裁支配下にあり、プーチン批判は一切できない。反戦運動をしただけで逮捕される。完璧なプーチン独裁のロシアである。完璧に独裁支配体制をつくり上げたプーチンだいとうりょうであるが独裁体制が崩壊してしまうかもしれないミスをした。取り返しのつかない大きなミスである。それはウクライナ侵攻である。ウクライナ侵攻はプーチン大統領の大きなミスである。
プーチン大統領はウクライナが民主主義国家になっていることを理解していなかった。軍事力で圧倒的に有利なロシア軍が短期間でウクライナを支配すると思っていた。民主主義国家になっているウクライナはプーチン大統領の予測と違っていた。自由と民主主義を守るために戦うと決意していたウクライナの軍隊は強かった。ロシアの進軍を止めるために橋で自爆した兵士もいた。命を懸けて自由と民主主義を守る強靭な精神を持って戦うウクライナ軍にロシア軍のウクライナ侵攻は食い止められた。ウクライナ国民の自由と民主主義を守るために戦う精神を見抜くことができなかったのはプーチン大統領のミスである。知っていれば侵攻しなかっただろう。
プーチン大統領の決定的なミスがもう一つある。米国の軍事支援を許してしまったことである。これでロシアの敗北が決定したに等しい。米国が軍事支援する前にロシア軍をウクライナから撤退させるべきだった。クリミア半島などの支配継続をウクライナ政府と交渉すれば米国が軍事支援することはなかった。プーチン大統領独裁も維持できただろう。しかし、戦争を短期間で終結させなかったために米国の軍事支援を許した。軍事力世界トップの米国の軍事支援でウクライナの勝利は確実になった。プーチンロシア軍の敗北は確実である。
 ウクライナ戦争の敗北はプーチン大統領を権力の座から失墜させるだろう。ロシアは自由な選挙が実施され、本来の議員内閣制が復活するだろう。
 タイでは2014年にグンジクーデターで解散させられたタクシン元首相派の運輸相だったチャチャート・シティパン氏が万国知事選で圧勝した。民主派は軍部に弾圧されても戦い続けている。
 ミャンマーは市民運動する市民、武器を持って戦う市民、少数民族と連帯して闘う市民と軍部との戦いを展開している。民主派の抵抗政府である「国民統一政府(NUG)」は国際社会に対して軍装備品や武器弾薬の供与を求めた。民主主義の戦いは根強く続く。