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嘉手納町が「住み続けたい」ランキング1位の真実をマスコミが説明しない理由

嘉手納町が「住み続けたい」ランキング1位の真実をマスコミが説明しない理由


沖縄タイムスが「住み続けたい街」ランキングで、九州・沖縄8県188自治体の頂点に輝いた理由を説明している。
元嘉手納町の担当だった記者は大東建託の発表の翌日に嘉手納町に行ったという。嘉手納町に着くや否や米軍戦闘機のごう音が町中に響いていたという。記者は嘉手納町の特徴を次のように述べている。
嘉手納町の約8割が米軍嘉手納基地が占めていて、戦前に住んでいた土地が米軍基地に接収された住民が多く、追いやられた人たちが、少しでも古里の近くにいたいと、残された狭隘(きょうあい)な土地に寄り集まるように家屋を建てた歴史がある。戦後の混乱期で、1軒の家で住民、建物所有者、地主がそれぞれ違い、権利関係が複雑に入り組み、そのまま現代に至っているケースも少なくない。加えて道路も狭く、建物が老朽化しても、建て替えやリフォームが難しい。それが嘉手納町である。
タイムス記者の説明では住み続けたい街ではなく住みたくない嘉手納町のように思ってしまう。


タイムス記者は「基地周辺では、あまりにひどい騒音を理由に住民が引っ越しを望み、国が買い取って空き地となっている国有地も目立ちます。今、住んでいる町民は、激しい騒音に耐えてでも、町に残ることを選んでいるのです」と述べている。タイムス記者は住みたくない町を無理やり住み続けたい町にしている。
 嘉手納町は戦闘機の爆音が激しく、道は狭く、住宅は密集しているという。そんな街に住みたいと思う市民はいない。嘉手納町を住みたくない町にイメージさせているタイムス記者である。タイムス記者の説明に納得する読者は少ないだろう。


嘉手納という地への並々ならぬ愛着、そして複雑な思いが「住み続けたい」ランキング1位の原因であるとタイムス記者は締めくくっている。古里への愛着は誰にでもある。古里への愛着が「住み続けたい」1位の原因になるはずがない。


 嘉手納町は戦前は北谷の一部であった。嘉手納飛行場が北谷を分断したのだ。分断された北谷の北部に位置する嘉手納は嘉手納村となった。戦後はバス移動の時代になったが、嘉手納はコザ市などの東側に移動する人たちのバス乗り場となった。コザ行きのバスは嘉手納から出発していた。恩納村、読谷村の人は嘉手納でコザ行のバスに乗り換えた。嘉手納は人々が集結する町となり栄えていった。
 嘉手納には二つの市場があり、4つの映画館、一つの芝居小屋、3つのパチンコ店があった。アメリカ兵相手のバー街も栄えた。戦後の嘉手納町は商業が栄えたのである。経済が発展するに従い北部や離島からの寄留民が増えた。寄留民の子孫は今も嘉手納町に住んでいる。タイムス記者は戦前からの地元民が棲み続けたと思っているが、実際は多くの寄留民が住むようになったのが戦後の嘉手納である。
 タイムス記者は嘉手納町が北谷町の一部であったこと、商業が栄えていたこと。寄留民が多くなったことを知らない。タイムス記者は嘉手納町の「住み続けたい」本当の理由を説明していない。いや、本当の理由を知っている。知っているのに書かないのだ。


数日前、居酒屋で友人と酒を飲んだ。嘉手納町が「住み続けたい」街の1位になったことを話した。友人も新聞に書いてあったと言った。そして、
「嘉手納はよう。学校の遠征費が無料だ。他の学校は自分で負担しなくてはならないのに嘉手納は役所が全部出す。だからだよ」」
と言った。嘉手納町はスポーツなどで生徒が本土に遠征する時の交通費は全て役所が出す。それだけではない。授業料など教育費のほとんどは役所が出す。父兄の負担はゼロに近いのが嘉手納町である。嘉手納町は社会保障も充実している。町民への金銭的な保証が充実しているのが嘉手納町なのだ。教育や社会保障が充実しているのが嘉手納町である。だから、「住み続けたい」ランクキングで1位になったのである。
 教育、社会保障を充実させているのが嘉手納飛行場の軍用地料である。嘉手納町の面積の約8割が軍用地である。8割の約4割は嘉手納町の所有地であり25億円の借地料が嘉手納町に入る。町の予算の25%である。嘉手納町は教育と社会保障に軍用地料を優先して支出している。
 嘉手納飛行場が嘉手納町を「住み続けたい」街の1位に押し上げているのである。反米軍基地のマスコミやオール沖縄、デニー知事が口にしたくない真実である