hijaiのブログ

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辺野古移設は2013年に決まった 阻止することはできないのにしようとした左翼の愚かさ

辺野古移設は2013年に決まった 阻止することはできないのにしようとした左翼の愚かさ


2013年27日、仲井真弘多知事は政府が提出した辺野古沿岸の埋め立て申請を承認した。
 承認した翌年の2014年に県知事選があり、辺野古移設容認の仲井間知事と移設反対の翁長雄志氏が知事選に立候補し、移設反対の翁長候補が当選し県知事になった。移設反対の翁長知事は仲井真前知事の辺野古移設承認を取り消した。8年前の2015年である。
 仲井間前知事は政府の埋め立て申請を前年に承認している。前知事の政府との合意は次の県知事が一方的に破棄することはできない。法律で決まっていることである。前知事の合意を一方的に破棄するのは違法行為であるのだ。しかし、違法だからと言って破棄を無視することはできない。現知事に破棄されれば政府は辺野古移設を進めることはできない。辺野古移設を進めるためには裁判をして埋め立ての権利を県から政府に移さなければならない。ことである。だから政府は代執行訴訟を起こした。裁判は確実に政府が勝つ。政府が代執行するはずであった。しかし、裁判長は裁判をするのではなく政府と県が協議することを提案した。裁判長の提案を了承した政府と県は協議した。協議の結果、翁長知事は承認破棄を撤回した。ということは仲井真知事の辺野古移設承認を認めたことになり、翁長知事も辺野古移設を承認したということになる。翁長知事の次のデニー知事も県知事としては辺野古移設を承認しているのだ。
 移設は承認しているが、サンゴ移設など、埋め立て工事で県の許可が必要な申請を県は許可しなかった。政府は認めるよう裁判をした。政府の申請を県が拒否することによって起こった裁判が5回あった。5回あった。裁判は全て政府が勝った。ただ、裁判をしている間は埋め立て工事はストップした。裁判をすることによって埋め立て工事が遅れた。裁判をすることによって埋め立て工事を遅らせるのが翁長、デニー知事の辺野古移設反対の戦略となった。この戦略も軟弱地盤の埋め立て設計変更申請が最後になった。
政府が県に許可申請するのは軟弱地盤の設計変更が最後であるのだ。政府が代執行をやるようになり、県に承認申請をしないで埋め立てを進めるようになる
2013年27日、仲井真弘多知事は政府が提出した辺野古沿岸の埋め立て申請を承認した。
 承認した翌年の2014年に県知事選があり、辺野古移設容認の仲井間知事と移設反対の翁長雄志氏が知事選に立候補し、移設反対の翁長候補が当選し県知事になった。移設反対の翁長知事は仲井真前知事の辺野古移設承認を取り消した。8年前の2015年である。
 仲井間前知事は政府の埋め立て申請を前年に承認している。前知事の政府との合意は次の県知事が一方的に破棄することはできない。法律で決まっていることである。前知事の合意を一方的に破棄するのは違法行為であるのだ。しかし、違法だからと言って破棄を無視することはできない。現知事に破棄されれば政府は辺野古移設を進めることはできない。辺野古移設を進めるためには裁判をして埋め立ての権利を県から政府に移さなければならない。ことである。だから政府は代執行訴訟を起こした。裁判は確実に政府が勝つ。政府が代執行するはずであった。しかし、裁判長は裁判をするのではなく政府と県が協議することを提案した。裁判長の提案を了承した政府と県は協議した。協議の結果、翁長知事は承認破棄を撤回した。ということは仲井真知事の辺野古移設承認を認めたことになり、翁長知事も辺野古移設を承認したということになる。翁長知事の次のデニー知事も県知事としては辺野古移設を承認しているのだ。
 移設は承認しているが、サンゴ移設など、埋め立て工事で県の許可が必要な申請を県は許可しなかった。政府は認めるよう裁判をした。政府の申請を県が拒否することによって起こった裁判が5回あった。5回あった。裁判は全て政府が勝った。ただ、裁判をしている間は埋め立て工事はストップした。裁判をすることによって埋め立て工事が遅れた。裁判をすることによって埋め立て工事を遅らせるのが翁長、デニー知事の辺野古移設反対の戦略となった。この戦略も軟弱地盤の埋め立て設計変更申請が最後になった。
政府が県に許可申請するのは軟弱地盤の設計変更が最後であるのだ。政府が代執行をやるようになり、県に承認申請をしないで埋め立てを進めるようになる