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デニー知事・オール沖縄は代執行裁判は国の弾圧だと アホらしい

デニー知事・オール沖縄は代執行裁判は国の弾圧だと アホらしい


デニー知事も参加したオール沖縄による「辺野古代執行に抗議する集会」が11月5日に開かれた。


代執行訴訟の争点は、国交相側の主張が、代執行の要件として地方自治法が定める
⓵知事野事務遂行に法令違反などがある
②法令違反を他の方法で是正することが困難である
③放置すれば著しく公益を害することが明らかである――の三つを満たすかどうかである。
⓵裁判で設計変更を承認しろと判決したのにデニー知事は承認しなかった。
②国交省が代執行する以外に設計変更を承認することはできない。
③放置すれば辺野古の埋め立て工事がいつまでもストップしてしまい。建設工事が進まない。
①②③の条件を満たしているのが代執行訴訟である。三つとも満たしているから代執行裁判ではは確実に国交省に移る。移ることをデニー知事とオール沖縄のリーダーたちは知っている。知っていながらの県民集会での発言である。


オール沖縄会議・福元勇司事務局長は、
「国の不条理・圧力に屈することなくみんなで声をあげていきましょう。それが今まで先人たちから私たちが引き継いできたことでしょう。沖縄は全国の未来をやはり良くしていくもの、そう信じて頑張りましょう」
と述べた。話し方は柔らかいが内容はそうではない。国は不条理であると福本氏は断言している。国を不条理と断言することは国の否定である。議会制民主主義である国は不条理ではない。国を不条理であると断言する福本氏は議会制民主主義を否定しているに等しい。


国はデニー知事が設計変更を承認しなかったことを裁判し、デニー知事に承認するように判決を下した。しかし、デニー知事は承認しなかった。知事が承認しないと設計変更はできないし埋め立てを進めることができない。国交相は承認しないデニー知事の権利を国交省が代執行できるように訴訟したのである。当然の行為だ。
裁判所が代執行を認める判決するのは確実である。福本事務局長は代執行が国交省に移ることを知った上で不条理と決めつけているのだ。不条理ではない。法律的必然だ。
オール沖縄は埋め立ての執行権が国交省に確実に移ることを分かっているから政府と裁判所批判に固執するのである。
「政府から独立した機関としての裁判所が、公正公平な立場で県民の民意や憲法に定める地方自治の本旨に即した判断をするのか、民主主義の根幹が問われている」と裁判所が代執行を認めれば、裁判所は国と結託して、民主主義を破壊すると主張するのである。


「県民の民意」「憲法に定める地方自治」「民主主義の根幹」は左翼の主観が勝手にでっち上げたものである。主観100%客観性0である。


オール沖縄の民主主義は日本国家の議会制民主主義を蔑視している。それがデニー知事、オール沖縄の正体である。


デニー知事、オール沖縄は国と闘っていると思っているが、思い違いだ。オール沖縄は国と闘っているのではない。国は独立した立法の国会、行政の内閣、司法の裁判所の3つに分かれている。オール沖縄は国の一部である司法の裁判所と闘っているのだ。国会や行政とは闘っていない。国交省はデニー知事が最高裁の判決に従わなかったから、代執行訴訟の事務手続きをしただけである。政治工作はしていない。
ところが「辺野古新基地を造らせないホール沖縄会議」共同代表の稲嶺進氏は「政府は代執行という禁断の刃を抜いてしまった」とまるで政府が「沖縄の民意」、「地方自治」、「ウチナーンチュのチムグクル(心)」を真っ二つに切り裂く目的で悪魔の刃で切りつけたと非難するのである。設計変更はデニー知事が承認しなければならないのに承認しなかったから政府は訴訟の手続きをしただけのことである。設計変更が確実に行われるだけで大した問題ではない。それなのに危機感丸出しの稲嶺氏である。それは稲嶺氏の個人的な主観による危機感である。
5日の県民集会は主催者発表で1800人だった。デニー知事が参加したのに1800人は少なすぎる。稲嶺氏は事実を認めて、「もう少しはいっぱいになって欲しかった」と述べた。主催者が参加者の少ないことを認めるほどにオール沖縄は衰退している。