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改正案見送り 左翼学術会議に弱腰岸田政府

改正案見送り 左翼学術会議に弱腰岸田政府



1月16日に学術会議が左翼であることを書いた。学術会議の左翼イデオロギーは徹底的に潰すべきである。そのためにも学術会議の正体を知らなければならない。


学術会議の正体 左翼に歪んでいる学術会議


「安全保障関連法に反対する学者の会」が学術会議法を改定しようとしている政府の方針は「学術会議を政府の意向に追従する組織に改造するもの」だとして反対するおかしな声明を発表した。
元学術会議会長の広渡清吾・東京大名誉教授は、「民主主義に必要なのは多様性の尊重。ナチスのように社会を同質化させてはいけない。学術会議は戦争を反省し、独立してものをいう研究者の組織が必要だとしてつくられた。学術会議の独立性や自主性を守ることは日本の民主主義の根幹にかかわる」と述べた。
 日本は民主主義国家である。民主主義の本質は国民主権にある。学者の多様性の尊重はすでに保証されている。日本では多様性は尊重されナチスのように社会を同質化にはしない。今の日本がナチスのようになることは絶対にない。広瀬前会長は日本の民主主義を理解していないどころか侮辱している。戦後の民主主義の日本では学者の研究の自由、発言の自由は保障されている。
「安全保障関連法に反対する」学者たちが集まって団体を結成できたのは表現の自由を保障しているからだ。表現の自由のないロシア、イラン。アフガンであったら全員逮捕され刑務所に入れられていただろう。広渡元会長は「学術会議は戦争を反省し、独立してものをいう研究者の組織が必要だとしてつくられた」と述べている。でもそれは広渡元会長の意見である。内閣、国会の意見ではない。広渡元会長は学者である。国民に選ばれていない一学者でしかない。そんな広渡元会長が学術会議を定義づけするのは間違っている。広渡元会長の意見は一学者の個人的な意見である。
日本学術会議には年間10億円余りの国の予算が支出されている。学術会議の活動は国民の税金によって賄われている。学術会議には国民のために活動する義務がある。国民の代理が政府である。学術会議は政府の方針に従わなければならない。それが国民主権の議会制民主主義である。


安全保障関連法に反対する学者の会は「学術会議は創設以来、平和と学問の自由を擁護し、軍事研究を否定してきた」と主張している。日本には日米安保があり、自衛隊が存在している。軍事研究を否定したということは日本の軍事を否定したことである。行政の側の学術会議が軍事研究を否定したことは日本の民主主義を否定したことになる。学問の自由も否定している。安保や軍事研究も自由にするのが学問の自由である。学術会議は軍事研究する学者を排除していった。学術会議には学問の自由はない。


岸田政権が昨年12月に閣議決定した安保⒊文書の「国家安全保障戦略」で政府と企業、学術界の連携強化を求めたことに対して学者の会は、政府の学術会議の改革の狙いは軍需産業振興のために科学技術を動員し、軍事研究の推進に適合する組織に改造することだと岸田政権を批判した。そのような改革は学術会議の独立性を損なう「学術会議つぶし」だとして、政府に撤回を求めた。


安保⒊文書は「国家安全保障を目指したものである。安全保障をより進展させるために岸田政権は政府と企業、学術界の連携の強化を求めたのである。多くの知恵を結集して、安全保障を強化していくのは政府として当然のことである。政府は学術会議に提案を求めたのであり学術会議潰しではない。学術会議潰しに見えるのは「安全保障関連法に反対する」「学者の会」であるからである。安全保障関連法に反対する」は学問の世界ではなく政治イデオロギーの世界である。イデオロギーが潰されるのではないかと恐れている。
安全保障関連法を分析し、内容や性質を解明するのは学者の仕事である。しかし、賛成するか反対するかは学問ではなくイデオロギーである。学者の会は学問ではなくイデオロギーに固執しているから反対している。


学術会議の独立性や自主性を守ることが日本の民主主義の根幹ではない。民主主義の根幹は国民主権である。代議制、国会、内閣、司法の三権分立が民主主義体制である。
学術会議は政権運営する政府への政策提言、科学の啓発活動を行う機関である。
独立性、自主性を守るのが学術会議であると主張しているのが「安全保障関連法に反対する学者の会」である。安全保障関連法に反対するということは国会で定めた法律に反対するということである。学者の会は国会の法律に反対する政治集団である。学問ではなくイデオロギー集団である。国会の決めたことに反対するのだから学者会議は非民主主義である。


日本は表現は自由だから国会で決めた法律に反対する学者集団が存在してもいい。しかし、学術会議は違う。学術会議は政府への提言機関である。政府は行政を司る機関である。国会で決めた法律を遵守しなければならないのが政府である。国会が決めた法律に違反する政府であれば司法によって解散させられる。それが三権分立だ。
学術会議は国会が定めた安全保障関連法に反対することはできない。行政に属する団体であるからだ。政府から独立していても国会が制定した法律からは独立していない。
学術会議が政府から独立しているとするならば学術会議は行政機関ではない。学術会議は国会、政府の政策に対して自由に主張する機関である。学術会議は政府に対して自由である。政府に束縛されない自由であるということである。
学術会議の自由は提案の自由である。学術会議は自由にテーマを決めて研究することはできない。政府の行政に限った問題に限られる。だから、学者としての自由は学術会議にはない。そして、国会が定めた法律に反する目的の研究はできない。学術会議は国会が定めた法律からは自由ではない。


学術会議の意見が政府と違っていてもいい。政府が学術会議の意見を採用するか否かは政府が判断する。政府は学術会議に対して自由である。学術会議は政府から与えられた課題を自由に研究する。研究した結果を自由に政府に提案する。それが学術会議である。
岸田政権が政府と企業、学術界の連携強化を求めたのは軍需産業振興のために科学技術を動員し、軍事研究の推進に適合する学術会議に改造することだと学者会議は決めつけ、連兼強化は学術会議の独立性を損なう「学術会議つぶし」であると批判し、政府に連携強化の撤回を求めた。
学術会議の自由な提言を封じるなら学術会議潰しである。しかし、政府は学術会議の口封じはしない。自由に発言させる。だから、学術会議潰しはしない。学者会議のいう学術会議潰しとは学術会議に安保⒊文書の「国家安全保障戦略」を研究させることてある。「国家安全保障戦略」を研究させることは学術会議の独立性や自主性を守ることができない。日本の民主主義の根幹にかかわる問題であるというのである。政府の一機関であるにすぎない学術会議に民主主義の根幹云々というのはおかしい。日本社会から見れば学術会議は政府の一機関の小さな存在である。民主主義の根幹なんて問題にできる団体ではない。むしろ、国民の税金を使っている学術会議が政府の機関としてちゃんと機能しているか否かが国民の問題になる。学術会議と民主主義はかけ離れた問題である。


「安全保障関連法に反対する」イデオロギーの学者会議が学術会議の民主主義を主張するのはおかしい。学者会議は表現の自由によって安全保障関連法に反対して結成した。学者会議内では安全保障関連法に賛成することは許されない。賛成する学者は排除される。表現の自由がない学者会議は民主主義ではない。同じイデオロギーの学者が集まった結社なのだから当然である。


学術会議は戦争を反省し、独立してものをいう研究者の組織が必要だとしてつくられたといっても、民主主義の三権分立のルールを破る権利はない。学術会議は行政の政府に属している。だから、行政法を守らなくてはならない。やりたい放題できる自由は学術会議にはない。それなのにあると主張しているのが学者会議である。
学術会議は民主的に選ばれた学者の集まりではない。学者全員の選挙はなく、学術会議の現会員が次期会員候補者を推薦する仕組みになっている。そのために次第に左翼系の学者が増え、左翼系学者が支配するようになったのが現在の学術会議である。


岸田政府は、日本学術会議法改正案について今国会の提出を見送った。日本学術会議の総会で、学術会議法改正案の今国会への提出を思いとどまり、開かれた協議の場を設けるよう、政府に勧告することを決めたからである。岸田政府は日本学術会議の圧力で提出を見送ったのだ。
 学術会議は左翼である。岸田首相は左翼学術会議には毅然とした態度で対応しない。派閥の争いでは勝って首相になる岸田氏のような自民党政治家は左翼に毅然とした態度で対応しない。適当にごまかしながら対応する。だから、学術会議や共産党や立憲民主をのさばらすのだ。左翼が生き延びているのは岸田首相のような自民党政治家が多いからだ。




1月16日に学術会議が左翼であることを書いた。学術会議の左翼イデオロギーは徹底的に潰すべきである。そのためにも学術会議の正体を知らなければならない。


学術会議の正体 左翼に歪んでいる学術会議


「安全保障関連法に反対する学者の会」が学術会議法を改定しようとしている政府の方針は「学術会議を政府の意向に追従する組織に改造するもの」だとして反対するおかしな声明を発表した。
元学術会議会長の広渡清吾・東京大名誉教授は、「民主主義に必要なのは多様性の尊重。ナチスのように社会を同質化させてはいけない。学術会議は戦争を反省し、独立してものをいう研究者の組織が必要だとしてつくられた。学術会議の独立性や自主性を守ることは日本の民主主義の根幹にかかわる」と述べた。
 日本は民主主義国家である。民主主義の本質は国民主権にある。学者の多様性の尊重はすでに保証されている。日本では多様性は尊重されナチスのように社会を同質化にはしない。今の日本がナチスのようになることは絶対にない。広瀬前会長は日本の民主主義を理解していないどころか侮辱している。戦後の民主主義の日本では学者の研究の自由、発言の自由は保障されている。
「安全保障関連法に反対する」学者たちが集まって団体を結成できたのは表現の自由を保障しているからだ。表現の自由のないロシア、イラン。アフガンであったら全員逮捕され刑務所に入れられていただろう。広渡元会長は「学術会議は戦争を反省し、独立してものをいう研究者の組織が必要だとしてつくられた」と述べている。でもそれは広渡元会長の意見である。内閣、国会の意見ではない。広渡元会長は学者である。国民に選ばれていない一学者でしかない。そんな広渡元会長が学術会議を定義づけするのは間違っている。広渡元会長の意見は一学者の個人的な意見である。
日本学術会議には年間10億円余りの国の予算が支出されている。学術会議の活動は国民の税金によって賄われている。学術会議には国民のために活動する義務がある。国民の代理が政府である。学術会議は政府の方針に従わなければならない。それが国民主権の議会制民主主義である。


安全保障関連法に反対する学者の会は「学術会議は創設以来、平和と学問の自由を擁護し、軍事研究を否定してきた」と主張している。日本には日米安保があり、自衛隊が存在している。軍事研究を否定したということは日本の軍事を否定したことである。行政の側の学術会議が軍事研究を否定したことは日本の民主主義を否定したことになる。学問の自由も否定している。安保や軍事研究も自由にするのが学問の自由である。学術会議は軍事研究する学者を排除していった。学術会議には学問の自由はない。


岸田政権が昨年12月に閣議決定した安保⒊文書の「国家安全保障戦略」で政府と企業、学術界の連携強化を求めたことに対して学者の会は、政府の学術会議の改革の狙いは軍需産業振興のために科学技術を動員し、軍事研究の推進に適合する組織に改造することだと岸田政権を批判した。そのような改革は学術会議の独立性を損なう「学術会議つぶし」だとして、政府に撤回を求めた。


安保⒊文書は「国家安全保障を目指したものである。安全保障をより進展させるために岸田政権は政府と企業、学術界の連携の強化を求めたのである。多くの知恵を結集して、安全保障を強化していくのは政府として当然のことである。政府は学術会議に提案を求めたのであり学術会議潰しではない。学術会議潰しに見えるのは「安全保障関連法に反対する」「学者の会」であるからである。安全保障関連法に反対する」は学問の世界ではなく政治イデオロギーの世界である。イデオロギーが潰されるのではないかと恐れている。
安全保障関連法を分析し、内容や性質を解明するのは学者の仕事である。しかし、賛成するか反対するかは学問ではなくイデオロギーである。学者の会は学問ではなくイデオロギーに固執しているから反対している。


学術会議の独立性や自主性を守ることが日本の民主主義の根幹ではない。民主主義の根幹は国民主権である。代議制、国会、内閣、司法の三権分立が民主主義体制である。
学術会議は政権運営する政府への政策提言、科学の啓発活動を行う機関である。
独立性、自主性を守るのが学術会議であると主張しているのが「安全保障関連法に反対する学者の会」である。安全保障関連法に反対するということは国会で定めた法律に反対するということである。学者の会は国会の法律に反対する政治集団である。学問ではなくイデオロギー集団である。国会の決めたことに反対するのだから学者会議は非民主主義である。


日本は表現は自由だから国会で決めた法律に反対する学者集団が存在してもいい。しかし、学術会議は違う。学術会議は政府への提言機関である。政府は行政を司る機関である。国会で決めた法律を遵守しなければならないのが政府である。国会が決めた法律に違反する政府であれば司法によって解散させられる。それが三権分立だ。
学術会議は国会が定めた安全保障関連法に反対することはできない。行政に属する団体であるからだ。政府から独立していても国会が制定した法律からは独立していない。
学術会議が政府から独立しているとするならば学術会議は行政機関ではない。学術会議は国会、政府の政策に対して自由に主張する機関である。学術会議は政府に対して自由である。政府に束縛されない自由であるということである。
学術会議の自由は提案の自由である。学術会議は自由にテーマを決めて研究することはできない。政府の行政に限った問題に限られる。だから、学者としての自由は学術会議にはない。そして、国会が定めた法律に反する目的の研究はできない。学術会議は国会が定めた法律からは自由ではない。


学術会議の意見が政府と違っていてもいい。政府が学術会議の意見を採用するか否かは政府が判断する。政府は学術会議に対して自由である。学術会議は政府から与えられた課題を自由に研究する。研究した結果を自由に政府に提案する。それが学術会議である。
岸田政権が政府と企業、学術界の連携強化を求めたのは軍需産業振興のために科学技術を動員し、軍事研究の推進に適合する学術会議に改造することだと学者会議は決めつけ、連兼強化は学術会議の独立性を損なう「学術会議つぶし」であると批判し、政府に連携強化の撤回を求めた。
学術会議の自由な提言を封じるなら学術会議潰しである。しかし、政府は学術会議の口封じはしない。自由に発言させる。だから、学術会議潰しはしない。学者会議のいう学術会議潰しとは学術会議に安保⒊文書の「国家安全保障戦略」を研究させることてある。「国家安全保障戦略」を研究させることは学術会議の独立性や自主性を守ることができない。日本の民主主義の根幹にかかわる問題であるというのである。政府の一機関であるにすぎない学術会議に民主主義の根幹云々というのはおかしい。日本社会から見れば学術会議は政府の一機関の小さな存在である。民主主義の根幹なんて問題にできる団体ではない。むしろ、国民の税金を使っている学術会議が政府の機関としてちゃんと機能しているか否かが国民の問題になる。学術会議と民主主義はかけ離れた問題である。


「安全保障関連法に反対する」イデオロギーの学者会議が学術会議の民主主義を主張するのはおかしい。学者会議は表現の自由によって安全保障関連法に反対して結成した。学者会議内では安全保障関連法に賛成することは許されない。賛成する学者は排除される。表現の自由がない学者会議は民主主義ではない。同じイデオロギーの学者が集まった結社なのだから当然である。


学術会議は戦争を反省し、独立してものをいう研究者の組織が必要だとしてつくられたといっても、民主主義の三権分立のルールを破る権利はない。学術会議は行政の政府に属している。だから、行政法を守らなくてはならない。やりたい放題できる自由は学術会議にはない。それなのにあると主張しているのが学者会議である。
学術会議は民主的に選ばれた学者の集まりではない。学者全員の選挙はなく、学術会議の現会員が次期会員候補者を推薦する仕組みになっている。そのために次第に左翼系の学者が増え、左翼系学者が支配するようになったのが現在の学術会議である。


岸田政府は、日本学術会議法改正案について今国会の提出を見送った。日本学術会議の総会で、学術会議法改正案の今国会への提出を思いとどまり、開かれた協議の場を設けるよう、政府に勧告することを決めたからである。岸田政府は日本学術会議の圧力で提出を見送ったのだ。
 学術会議は左翼である。岸田首相は左翼学術会議には毅然とした態度で対応しない。派閥の争いでは勝って首相になる岸田氏のような自民党政治家は左翼に毅然とした態度で対応しない。適当にごまかしながら対応する。だから、学術会議や共産党や立憲民主をのさばらすのだ。左翼が生き延びているのは岸田首相のような自民党政治家が多いからだ。