hijaiのブログ

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ひろゆき氏、毎日新聞記事に反論 市民が鋭いコメント これこそ民主主義報道

ひろゆき氏、毎日新聞記事に反論 市民が鋭いコメント これこそ民主主義報道


ひろゆき氏が沖縄をあざ笑うなと批判する毎日新聞記事に反論した。「変な反対活動を指摘するとなぜ沖縄全体をあざ笑う事になるのだろう」と反論した。
ひろゆき氏は「平日に15分座るのを3回、雨や雪だと休みなのに『座り込み』が継続してるかのように書くのは間違いじゃない?という指摘がどうしても沖縄を笑うことになるのかわからないです。」と指摘したうえで、「変な反対活動を指摘するとなぜ沖縄全体をあざ笑う事になるのだろう。沖縄には、変な活動家しか住んでないのかな?」と持論を展開した。
ひろゆき氏の指摘する通りである。ひろゆき氏の指摘はキャンプ・シュワブの座り込みと立て看板の内容的なずれを指摘しただけであって沖縄全体とは関係がない。それなのに沖縄全体と関係あるとみなすのはまともな活動家ではない。変な活動家である。
ひろゆき氏の主張は今まで述べたことである。新たな意見はない。注目すべきはひろゆき氏へのコメントである。コメントで新聞社が独裁であることを市民が述べている。
ひろゆき氏のツイートへ投稿したコメント


〇どうして新聞は事実を報道しないのかな!?私は、ひろゆきさんに感謝してる。本当のことを報道していただいたので今までのモヤモヤがスッキリしましたー!」


 新聞が事実を報道しないのを市民は知っているのだ。新聞は一方的に市民に新聞の主観的な情報を流す。あたかも客観的であるかのように。記者も客観的な立場になって報道していると錯覚している。しかし、実際は新聞社、記者の主観によって報道しているのだ。嘘の報道に気づいた市民がいても市民に報道を批判することはできない。発表する場がないからだ。ネットがあるが新聞のほうが圧倒的に情報を流すこととができる。
 有名なひろゆき氏がツイートしたから多くの市民の意見がひろゆき氏のツイートを通じて世間の目に触れることができるようになったのである。


〇沖縄じゃなぜか容認されてる感じになってるけどあの座り込みって道交法違反と威力業務妨害なんですけどね。なぜか容認されてる感じになってるけど。


 日本は法治国家である。国道沿いでの座り込みは道交法違反と威力業務妨害である。違法行為を堂々とやっているのがシュワブの座り込みである。辺野古移設反対派は国道を占拠するデモをやり、国道で県民大会もやった。県民大会には県知事、国会議員も参加した。国道で県民大会をするなんて考えられないことである。沖縄警察もおかしい。沖縄はおかしい。


〇ひろゆきさんのお陰でメディアが公平中立ではなく自分達の意向に合わせて湾曲したニュースを流す機関であることが鮮明になりました。


 メディアは公平中立であると信じていた市民もひろゆき氏のツイッターを見て、公平中立ではないことを知った。そして、自分が思ったことをコメントすることができた。ツイッターは市民の視界を広げたのである。一方的な情報を流す新聞よりツイッターは民主的である。


〇必要以上に騒ぐ事で誰にも触れられない聖域と化す事を狙っているのでしょうが、この現代においてそれは通用しないって事をこのお年寄り達は理解していません。


 現代においては誰にも触れられない聖域をつくることはできない。シュワブの老人たちはそのことを理解していないと指摘している。その通りである。だから、シュワブの座り込みは少数である。減るだけで増えることはない。的確な指摘である。


 ひろゆき氏のツイッターへのコメントを見れば、ひろゆき氏を盲目的に信じていないことが分かる。。彼らはしっかりと自分の考えをコメントしている。
沖縄大学非常勤講師の親川志奈子氏は
「あざ笑うことによって仲間が出てくる。そこに一緒に乗れる人たち、お客さんがいて、沖縄をあざ笑うことで得られる利益がある。沖縄はたたいても大丈夫な対象で、沖縄をあざ笑うことで評価される一定の客層がいるということを、沖縄は見せつけられた。ひろゆき氏のツイートが実際に何十万といういいねをたたき出すことを見せられ、沖縄をあざ笑うことはこれだけの人に受けるということを見せつけられた」
と述べているが、コメントをみれば親川氏がまちがっていることがはっきりと分かる。
 ひろゆき氏のツイートにコメントしたのはひろゆき氏の仲間ではない。お客さんでもない。客層でもない。自分の意見を自由に述べた市民である。
 市民のコメントを見れば、マスメディアがニュースを歪曲し、マスメディアの主張を一方的市民に押し付けることができる時代は終焉したことを感じさせる。