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「沖縄をあざ笑うひろゆき氏」 朝日に続いて毎日もジャーナリスト独裁主義に固執している


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「沖縄をあざ笑うひろゆき氏」 朝日に続いて毎日もジャーナリスト独裁主義に固執している


毎日新聞は毎日と同じ思想である沖縄大学非常勤講師の親川志奈子氏の主張を掲載した。親川氏は、
「辺野古(沖縄県名護市)の座り込みを揶揄(やゆ)するひろゆき氏のツイートは、日本にとって沖縄があざ笑う対象であることを沖縄に再認識させた」
とひろゆき氏が日本、座り込みを沖縄と決めつけて、日本にとって沖縄はあざわらう対象であると主張している。
ツイートが日本国民におよぼす影響はマスメディアよりも大きいということである。だから、マスメディアが伝えるキャンプ・シュワブの座り込み運動よりひろゆき氏の揶揄のツイートの内容が日本国民に広がったのだ。ただツイートにはひろゆき氏のツイートだけでなく朝日や毎日のツイートも多い。ツイートは新聞社や週刊誌、専門誌などの記事も掲載されている。会社と市民の意見を平等に扱っているのがツイートである。
ひろゆき氏のツイートが日本が沖縄をあざ笑っていると毎日が思うのは毎日の主張よりひろゆき氏の主張が市民に受け入れられたということである。ひろゆき氏の意見のほうが多くの国民に受け入れられているから民主的であるということになる。国民に受け入れられていない毎日の主張は非民主的であるということになる。そのことを間接的に認めているということである。


毎日が掲載したのは「親川氏の沖縄をあざ笑うひろゆき氏 冷笑の裏にある植民地主義」である。
親川氏は「沖縄に基地が集中している現状は、沖縄にいれば毎日目の当たりにするからひしひしとわかるが」と述べている。それは事実ではない。嘘である。沖縄に居ても多くの人は米軍基地を目のあたりにすることはない。親川氏は沖縄大学の非常班である。沖縄大学は那覇市にある。親川氏ほとんどの日々で米軍基地を見ていないはずである。那覇市のはずれには那覇軍港があるが、普通の港であり静かである。民間の港と同じである。周囲に住宅はない。歩いている人もいない。国道で素通りするだけである。
「毎日目のあたりにする」「ひしひしと分かる」は嘘である。でっち上げである。私のように嘉手納飛行場の近くに住んでいるなら親川氏の言う通りであるが、沖縄全体からみれば米軍基地の存在を感じない地域の方が非常に多い。それに米軍基地は嘉手納飛行場や普天間飛行場以外は静かである。座り込みをしているキャンプ・シュワブに行けば分かる。キャンプ・シュワブの周囲はほとんどが緑の木々であり、静かである。読谷には嘉手納弾薬庫があるが緑の木々が植わっている森になって、多くの野鳥が棲んでいる。普天間飛行場を嘉手納弾薬庫に移設する案が出た時、読谷村は自然が破壊されるからといって反対したくらい、弾薬庫は自然が豊かである。


親川氏は、
「辺野古(沖縄県名護市)の座り込みを揶揄(やゆ)するひろゆき氏のツイートは、日本にとって沖縄があざ笑う対象であることを沖縄に再認識させた」
と述べている。あまりのひどい親川氏の思い込みである。ひろゆき氏はシュワブの座り込みを揶揄したのではない看板の日数の書き方を揶揄しただけである。ひろゆき氏の行為を正確に理解していない親川氏である。ひろゆき氏は看板の座り込み日数の書き方がおかしいと言っただけであるのに親川氏は座り込みを揶揄したと決めつけている。親川氏の被害妄想である。被害妄想は長拡大し、日本が沖縄をあざ笑っていると妄想するのである。
 親川氏の妄想はシュワブの座り込みを沖縄だと思っていることである。シュワブの座り込みは沖縄と本土の左翼の運動であって、沖縄の運動ではない。ところが親川氏は沖縄の運動だと思い込んでいる。だから、ひろゆき氏は沖縄をあざ笑っていると妄想するのである。ひろゆき氏があざ笑っているのは現実の沖縄ではない。親川氏の頭が妄想している沖縄である。親川氏のいう沖縄は親川氏の妄想がつくりあげた沖縄なのだ。ひろゆき氏も日本も親川氏の妄想の中の世界である。
 親川氏の妄想では、
「あざ笑うことによって仲間が出てくる。そこに一緒に乗れる人たち、お客さんがいて、沖縄をあざ笑うことで得られる利益がある。沖縄はたたいても大丈夫な対象で、沖縄をあざ笑うことで評価される一定の客層がいるということを、沖縄は見せつけられた。ひろゆき氏のツイートが実際に何十万といういいねをたたき出すことを見せられ、沖縄をあざ笑うことはこれだけの人に受けるということを見せつけられた」
ということになる。ひろゆき氏に賛同するツイートは「あざ笑う」ではない。ひろゆき氏のツイートに賛同したのは仲間ではない。お客さんでもない。賛同した市民に利益はない。客層でもない。自由に自分の意見を述べた市民なのだ。被害妄想の親川氏は沖縄をあざ笑っていると思うのである。何十万といういいねこそが市民の意見であり、親川氏の妄想の中の沖縄をいいねという市民は圧倒的に少ないということである。
 圧倒的市民の意見を否定し、自分の主張を市民に強制する毎日はジャーナリスト独裁にしがみついて、民主主義から離れている。