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10年間で痛切に感じた大阪と沖縄の政治の違い

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10年間で痛切に感じた大阪と沖縄の政治の違い


 タレント弁護士であった橋下氏を大阪の自民党が勧誘して知事選に立候補して当選した。自民党推薦で知事になった橋下氏であったが自民党の政策にはない政策を掲げた。それが「大阪の学力を上げる」だった。橋下知事は大阪の学力を上げるために教育改革をしていった。橋下氏の教育改革を大阪府民は歓迎し、橋下知事支持が拡大していった。一部の自民党議員が自民党を離党して「自由民主党・維新の会」を結成していたが、橋下知事の考えに同調した維新の会は橋下氏を代表に迎えて、大阪維新の会を結成した。維新の会は新しい政党であり、少数政党だったのである。維新の会は他の政党が掲げていない斬新な政策を次々と発表した。維新の会の政策は大阪の市民が賛同し、維新の議席は増えていった。


 歴史もなく応援する市民・労働団体もない、マスコミも軽視していた少数政党がみるみる内に議席を増やしていったのである。維新の会の議席が増えていった原因は維新の会の政策を多くの大阪市民が支持したからである。


 「維新の会が沖縄の政治を変革する」を発表してから10年が経った。維新の会は大阪府と市の首長、そして、議席を過半数確保している。衆議院を41議席も確保している。維新の会が勢力を拡大したのは維新の政策を市民が支持したからである。
 沖縄では維新の会の支持率は非常に低い。県民が支持する政策を掲げなかったからである。沖縄の維新の会には大阪のように市民が支持する斬新な政策を掲げる政治家が居なかった。もし、斬新な政策を掲げる維新の会が沖縄にも存在していたら大阪のように維新の会が県政を握っていただろう。
 大阪と沖縄の違いは市民の違いではない。政治家の違いである。10年間で痛切に感じた。