hijaiのブログ

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シスジェンダー女性とトランスジェンダー女性は違う 分けるべき

シスジェンダー女性とトランスジェンダー女性は違う 分けるべき


アメリカ・ミシシッピ州ガルフポートの高校でトランス女性として入学し高校生活を送ってきたLさんであったが、卒業式に女子生徒のドレスコードであるドレスとヒールを身につけたという理由で、卒業式に出席するのを禁止された。3年間トランス女性として高校生活を送ったし、高校3年のプロム(卒業前のダンスパーティー)に、青いドレスを着て行った際、学校には何も言われなかったのに卒業式には出席禁止されたのである。
Lさんの家族は、娘が卒業式に自分が望む格好で参加できるよう、ミシシッピ州南部地区の連邦地方裁判所に提訴した。ACLU(アメリカ自由人権協会)が家族の代理となったが、卒業式の前日、ミシシッピ州ガルフポートの裁判官は訴えを棄却した。
卒業式の2週間ほど前、Lさんは校長室に呼ばれ、『ドレスを着て参加はできない。男子生徒のドレスコードに従う必要がある』と言われた。Lさんは校長にいわれたことを守らずにドレスを着て参加しようとしたので出席を禁止されたのである。


ニュースへのコメントは「素の自分で学校生活を送っていたのに、なんで卒業式には素の自分で参加できないの?」と学校側への批判が多い。なぜ、学校は禁止したのか。そのことについてはニュースは書いていない。学校はトランス女性を入学させたのだ。学校はトランス女性を容認していた。だから、学校側は卒業式でもドレスを着て参加することを認めていたはずである。しかし、禁止した。なぜ、禁止したのか。考えられるのは他の女生徒が反対したということである。
学校としてはドレス出席を認めていたが多くの女生徒が反対したのだ。女生徒の反対が多いために学校側はLさんのドレス参加を禁止したのである。女生徒から見ればLさんはトランス女性である。理屈による女性であってノーマルな女性ではない。他の女生徒にとって女性と見なすことに抵抗があったと思う。
Lさんは、「ありのままの自分でいられたし、受け入れられた気持ちがした。学校に理解され、サポート体制がよくできていると感じた」と述べている。Lさんはトランス女性として自由に学校生活を過ごしたのである。女性には生理がある。しかし、Lさんには生理がない。普通の女性には「自称女性」のような内からの女性の心は強くない。心ではなく生理や声、肉体の変化することによって女性であることを自覚するようになる。生理前には感じなかった男性との違いを意識するようになる。女性としての心は心の外からやって来るのが普通の女性である。しかしLさんは外は男性でありながら内から女性になった。ノーマルな女性とは心が違う。ノーマルな女性との違いを理解する努力をしないで、自分は女性なのだと振舞ったLさんである。Lさんとの違いを強く感じていたノーマルな女性高校生たちはLさんを自分たちと同じ女性だとは認めることができなかったのだ。だから、卒業式にLさんが自分たちと同じ女性として参加することに反対したのだ。


 Lさんは自分が女性であることは主張しても、ノーマルな女性を理解していない。理解する努力もしなかった。自分が女性であることを主張して女性として行動することにまい進しただけである。だから、ノーマルな女性たちに敬遠されたのである。


シスジェンダー女性とトランスジェンダー女性は違う。一つの女性の枠に閉じ込めるのは間違っている。そのことをガルフポート高校は示したのである。シスジェンダー女性とトランスジェンダー女性は区別するべきである。卒業式でLさんは一人だけのグループにするべきである。Lさんはシスジェンダー女性から離れて、たった一人になってもいいからトランスジェンダー女性としてドレスを着て出席することを学校と交渉するべきだった。


 女性をひとくくりにすることが間違っている。