hijaiのブログ

沖縄、日本、世界の情勢や芸術について自由に意見するぞー

 へんな人たち

 へんな人たち


とにかく細々の暗記の天才が東京には多い
第二次世界大戦から六十年以上も過ぎたというのに
遥か昔のことなのに
まるで昨日の出来事のように
満州事変がどうのこうの
日中戦争がどうのこうの
真珠湾攻撃がどうのこうの
東京裁判がどうのこうの
とか
細かすぎるほどに暗記して
あれこれとしゃべる
そして
ああである
こうである
という
記憶にない所が取り出されて
ああである
こうである
と言われたら
なにしろ私は知らないことだから
ああでしょうね
こうでしょうね
と思うしかできない
つまりは
暗記力の弱い私はお手上げなのだ


お手上げではあるけれど


この人たちの正体はなんだろう

不思議な人たちのような感じだ
評論家とは実に不思議な存在だ
政治家であり外交官であり歴史学者である
その正体は
武士階級か
貴族階級か
ただ
庶民のにおいはしない
戦争中の話になると軍人になる
とにかく
庶民のにおいはしない


記憶力がよくて頭のいい人間たちは
六十年以上のことを詳しく記憶して
私なぞが知らない政治家や軍人の発言を引用して
論争するのだが
私にはさっぱり分からない。
満州事変
関東軍
蒋介石
毛沢東
共産党
東条英機
軍国主義
等々、高校でならったことのある人物や事件などは私でも分かる
しかし、
記憶のいい人たちは色々な人物の考えや行動を例に出して
論争する。
戦争の内実はこんなものであり、東京裁判の内実はこんなものであり
だから
どうのこうのであると
具体的に書けば読者にもっと理解させることができるが
なにぶん私の記憶力はそれほどよくないので彼らの論争を具体的には
書けない。


私が感じることは
東京は政治・経済・文化の中心地であり
東京の人はその自負が強く
戦争を語る時も
まるで戦争のリーダーであり、
リーダーの立場から過去の戦争を批判しり肯定したり
していることだ


日本が中国に侵略したというのは正確な評価ではないとか
信者湾攻撃は日本として仕方がなかったのだなどとか
ちゅうごく侵攻は蒋介石とか毛沢東とか誰それとかの謀略のためにやったのだとか


東京の頭のいい人たちの話はややこしくて
よくわからん


よくわからんと言えば
明治時代は
貴族国家なのか
武士国家なのか
よくわからない
天皇制国家なのだから貴族が支配している国家のようであるが
どうもそうではない
首相や大臣は武士で占められている
天皇が直接政治をしているのではないし
どうも貴族国家ではない
武士国家なのではないか
でも
国民は天皇の子であるなどと教育するし
教育を進めるのは武士政治家だし
本当に天皇星国家だったのか分からない
形は天皇制政治で
内容は武士政治ということが本当ところだろう
明治から始まったのは国民の下級武士化というわけだ
家父長制度
長が絶対的権力者であるのが武士のしきたり
徴兵制度
軍人とは武士のこと農民も漁民もみんな戦う武士にさせられた


降伏するよりも死を選ぶのが武士
玉砕もまた武士の思想
日本国民の最後の一人まで戦うというのが武士思想
日本玉砕を救ったのが昭和天皇だったのは有名な話だ
玉砕思想は武士の思想
天皇の思想ではなかったということ
戦争は武士の思想
滅びの美学
武士道は本土決戦をやり日本民族を滅亡させる思想だったわけだ


武士はどうも天皇の威厳を利用して政治をやる天邪鬼だったようだ


ああ、分かった
靖国で天皇と武士の意見が分かれたのだ
靖国は武士思想を露骨にしたものだから
天皇は反発したというわけだ


頭のいい人は
頭がいいばっかりにイメージ力も優れていて
戦争のリーダーの気持ちが理解できるのだろう
私は昔の人間の気持ちになろうにもそんな知識もないし
それに六十年以上も昔の人間の気持ちを理解するのが億劫である。


億劫だから
こう考える


私の親父は農民で
朝から晩まで鍬と鎌で畑仕事をしていたそうだ
満月の夜なぞは月明かりの下で夜遅くまで畑仕事をしていたそうだ
それが私の母の自慢話であった
四歳の娘がひとり


そんな父に赤紙が来た
それで南方の戦場に行ったというわけだ



お前は戦争に行くのとそのまま畑仕事をするのと
どちらを選ぶかと
聞いてみると


父は畑仕事をしたいと答えただろう。


とまあ私は考えるわけだ


そんなことは当たり前のことだ
つまらん考えだ
というかも知れないが


でもさ
戦争の様子を正確に伝え
国民ひとりひとりに戦争を続けるかどうか
を聞いたら
戦争をしていただろうかということだ


戦争に賛成する人も居ただろうが
戦争に反対する人も居ただろう


中国で商売したり儲けたい人は賛成しただろう
中国に行きたいと思わない人は反対しただろう
農民は兵隊になりたいとは思わない
大工だってそうだ
音楽
美術
商売人
とまあ、兵隊になりたくない人間の方が圧倒的に多い
人は
働いて、
家族団欒の生活を望むものさ


戦争を続けていくと戦死者は増えるわけだし
武器を作るために家のなべややかん徴収されるし
高校や大学に行っても
勉強をしたくても
兵隊にされたりや工場で働かされたり
生活は困窮していくのだから


戦争に反対する人が増えていくのは当たり前だ
報道が自由で戦況が正確に国民に知らされていたら
国民は戦争を止めていただろう


アメリカの国民にイラク戦争に反対する人が増え
民主党が上院下院とも勝った。


もし、戦前の日本が民主主義国家だったら
アメリカと同じことが早い時期に起こっていただろう。
いや
戦争は起こらなかったかも知れない


戦後六十年を振り返ると戦争をしないで
企業を育てた方が国は豊かになることを証明した


つまり
軍隊を強くして植民地を拡大することによって国が富む
富国強兵政策は国を貧しくする政策であるということだ


満州侵攻がどうのこうの
日中戦争がどうのこうの
真珠湾攻撃がどうのこうのという
論争論議は
もう
うざいということだ。


太平洋戦争で負けたが
そのおかげで
民主主義憲法が成立したのだから
太平洋戦争は民主主義革命だったということだ



帝国主義や軍国主義より民主主義がいいということだ
それでいいではないか


これからは
民主主義社会から民主社会へ絶え間なく変革していく
それでいいではないか



国家の品格と言い
武士道がいいと言い
新しい首相は


美しい日本


を 政治課題にしている。


戦争をやって植民地を増やすのが日本は富める考えは間違っていることを
日本の工業を発展させて貿易を拡大するほうが日本は富めるという戦後の日本の歴史が証明している。
だから日本の富国強兵は間違っていたのだ。
歴史が証明しているのだからこれ以上はっきりしていることはない
「『戦犯と一般国民を分ける』という毛沢東的な言い方はおかしいが。」
いえいえちっともおかしくありません。
だから、「日本が加害者であると同時に被害者でもある。」という毛沢東の言葉はその通りなのです。
名言です。さすが毛沢東です。


「戦争を一般的に論じれば、どの国もそうなります。」とT氏はそれは当たり前という風に言ったが、
そうかなあ、
そうではないのかもなあ。
報道が自由で言論が自由で
外国の情報が正確に伝えられ
国のリーダーを国民が選び
その上で戦争をするのなら国民が選択した戦争なのだから国民が被害者であるとは言えないのじゃないかな。
でも、国民が選んだ政治家は軍部に殺され、国民の代表を殺した軍部が政治の実権を握った日本の政治は国民の意思を喪失した政治と言える。
戦争に反対すれば警察にリンチされ、
自由を主張すれば警察にリンチされ
共産主義者というだけで小説家が警察のリンチで殺され
「りんごの歌」は明るい唄であるという理由で発売禁止
国民の希望や意思は踏みにじられ


日本がアジアで戦争をすることができたのは国民を犠牲にしたからだと私は思う
単純な理屈だから
複雑な理屈に太刀打ちはできないが
でもこの単純な理屈の方が「真実」の芯だろう。


第一が日中戦争
第二が四十一年からの日米の戦い
第三が四十五年八月という戦争末期の対ソ連の戦いというか、一方的に受けた侵略です


え、満州は日本だったということか。
侵略したかどうか。


え、日本は朝鮮に侵略はしていないということなのか
満州には侵略していないということなのか


専門の世界は難しい。


戦争犯罪人と一般国民は分けることができるのが日本軍国主義国家なのでなかろうか。
小学生は教育者のおもちゃか


私は沖縄に六〇年近く住んでいる
大きい声では言えないが
私はアメリカ軍の沖縄駐留に賛成なのである
こんなことを堂々と言ったら、
「非国民。」
などと言われかねない。
だから内緒にしている。
アメリカさまさまなのだ
「売国奴」
と言われそうだ。
なにしろ沖縄の支配者は「本土従属ありき」なのだからね。
どうしてそうなのか分からないが
とにかく
「本土従属ありき」なのだ


ぷふふ


おっと笑ってはだめだ。
日本には武士思想と社会主義思想しかないのか


日本は民主主義国家なのに
日本には武士思想と社会主義思想しかない
と私が言ったら
多くの人が苦笑するだろうな


おいおい
民主主義は難しい思想じゃない
だれもかれもが民主主義は理解している
日本は国会議員も地方議員も選挙で選ばれているし国民は
選挙に参加しているよ


うん、そうだね。
と私はうなずく
その後に首を傾げる


でも、
国会には武士道意識の強い議員が多い
で世の中は
品格が流行している。


まあ、それはそれでいいのかも知れない。
なにがいいのかも知れないのかは言えないか。


司馬遼太郎大先生も
武士が政治をするものだと考えていた
武士幻想が日本には根強い


高杉晋作の騎兵隊は平民の軍隊で
江戸幕府の武士軍団をやっつけた
現実はそんなものだ
武士だから戦争に強いとか
意思力が強いとか
ていうのは幻想だ
武士も人間
平民も人間
才能に差はないということだ


民主主義社会なのだよ
なぜ
武士道なのだ
変だよ


武士はそんなに立派だったのか
違うだろう
政治は武士しかできなかっただけのことだ
武士が知に優れていたわけではない
武士が武の才能があったわけではない
武を身に付ける権利が武士だけにあったというわけだ
当たり前の話だが
でも
武の才能は武士だけにあったと錯覚している人々は以外に多い


武士も平民も
生まれた時は同じ才能であったと
いうわけだ
それだけのこと


大発見


戦後六十年で大発見したと言えば
民主国家と民主国家は戦争しないということだ


こいつは歴史的大発見だ


民主国家と民主国家は戦争しないなんて馬鹿なこと言うな

君は言うかも知れない。
民主国家でも性悪な大統領なら戦争をしてしまう

君は言うかも知れない。


ところがそれは間違いだ。


イギリスとアメリカが戦争するだろうか
フランスとイギリスが戦争をするだろうか


しないね
断言できる



武士と天皇の対立
明治になり
天皇制になったのだが
よく考えてみると変な感じだ
天皇はいわゆる皇族なのであり
でも江戸幕府を倒したのは長州藩や薩摩藩などの武士階級なのであり
明治政府を作ったのは武士である
武士政権から
武士政権になっのであり
皇族政権になったわけではない
なぜ
最高権力者は天皇なのか
武士ではないのか
変である
天皇が最高権力者であるのなら
天皇を支える内閣は皇族で構成されるはずなのに
藩閥で占められている
おかしいではないか
本当に天皇が支配していたのか疑問である


昭和天皇は本当に
日本の国民が「天皇陛下ばんざい。」と言って天皇陛下のために死ぬのを望んだのだろうか。
国のために死ぬということは天皇陛下のために死ぬということらしいが
昭和天皇は自分のために国民は戦争をやり自分のために「ばんざい。」と叫んで死ぬのを当然と思っていたのだろうか。
武士の時代の前に
貴族の時代があり
貴族の長は天皇で
武士は天皇から政治権力を奪ったがその位は奪わなかった
つまり花より団子を選んだ


考えてみると
明治は外様藩が江戸幕府から権力を奪った
クーデターだった
いわゆる体制が変わったように見えるが
明治も武士が政治権力を握ったわけで
武士の政治が変化しただけだった
江戸幕府の鎖国政策を解いただけだ


貴族に玉砕の思想があるのだろうか


そう言えば
奈良時代
平安時代
戦国時代のように血で血を洗う戦争はなかった
長い平和な時代に
貴族は戦争のやり方さえ忘れていった


貴族時代には大陸を攻めることもなかった


国取り物語は武士の物語


軍国主義というのは武士が国を完全支配するというものなのだろうか


   真珠湾攻撃


トラトラトラ
真珠湾攻撃
中学生の私は世界地図でハワイを見ながら
日本軍がハワイの真珠湾攻撃をなぜやったのか
不思議だった。
アメリカ本国はハワイのはるか東だ
首都のワシントンDCやニューヨークは大きい北アメリカ大陸の
遥か東側にあるのだ。


アメリカに本気で勝つ気があったのだろうか


中学生の私は疑問に思った
中学生ですよ
ハワイを攻撃してハワイを占拠してもアメリカを征服するのは不可能だ
そう確信できる


アメリカと戦争するなんて
頭がおかしいとしか思えない
と子供の私は思った


変だよ
本当に変だよ
ハワイに奇襲をかけるのがやっとであるのに
アメリカに勝つには
アメリカ本国に上陸して
大陸を横断しなければならない。


あの時の日本の指導者は頭がおかしかったのではないだろうか


アメリカに勝つシュミレーションを子供ながらにやったが
妄想を平気でやる中学生の私でさえ
アメリカ征服のシュミレーションは無理だった





  国民が大企業を支配する


郵便貯金が三〇〇兆円もあるのにはびっくりだ
日本国民は金持ちじゃないか
三〇〇兆円で
大企業の株式を買い占めれば
大企業は国民のものになるじゃないか


下手な労働運動するより
労働者は預金しないで株を買ったほうがいい
株主というのは純粋なブルジョアジーで会社の所有者なのだ
経営者より偉いのだ
経営者を召使いにするのだ


天皇を崇拝はしないが尊敬する


笑い方まで要求されるのか
オランダで
はじけるような笑顔をしたら
日本の文化人はケチをつけた


笑いでさえ厳しくチェックされる
そこまでどうのこうのいう人たちは
すごく偉い人たちなのだろう


オランダで素直な心で笑っていいのでないか
自然にはじける笑いが出てきたのだから
それでいいのではないかと私は思う
日本でもあのようなはじけた笑いをしなければならないなどというが
そんなことは無理なことで
日本ではできないのならそれはそれでいいのではないか
日本では日本の支配者に要求される笑いを痛々しく精一杯やっているのだから
それでいいのではないか



皇族と国民の隔たりは次第に大きくなっているような気がする


平民の私は皇族に深い興味はない





オランダで幸せな顔をしたからケチをつけられた




オランダではカメラマンが皇女に「アイコ、アイコ。」と声をかけてもいいそうだ。
でも日本ではカメラマンが声をかけるのは禁止されているそうだ。


日本では平民が気安く声をかけてはいけない。
気楽に話してはいけない。
指定された人しか話してはいけない。



 透明で厚い壁


天皇は国民に手を振り日本国民の平安と世界平和を願うとマイクに話す
参列した人々は日の丸を振る
それに答えて天皇陛下は手を振る


それにしてもどうしてあんなに分厚いガラスが天皇と国民の間にはあるのだろう
けいからぬ人間のけしからぬ行為を防ぐためだと思うが
あんなぶあついガラスが必要なのだろうか


天皇と国民の間にある厚い透明な壁
透明な壁をしきりに厚くして
しきりに強くしている連中がいるように
私には思える。


 天皇を敬語で支配するものたち


天皇のことを話すときは水も漏らさぬ完璧な敬語で話す人
天皇のことも皇族のことも法のこともよく知っている
頭のいい人たち
でも
その内容は
天皇はこうでなくてはならないと事細かに話す




武士道精神か
物を生産する仕事はしないで
生きる武士の精神を
毎日働いている人々が持ということはへんな話だ


武士は人口の6パーセントだという
94パーセントは平民だ。


日本車がアメリカに進出してアメリカの自動車がうれなくなったので日本車を破壊したりして、日本車に反発した。
その時にアメリカの怒りを緩和するために日本の国は医療器具を大量に輸入するようになった。
日本車がアメリカで売れて日本の自動車企業は儲かったが
その代わりに
日本の医療は高くなった。
なにか
へんだよ。
あの時は仕方がなかった
と国は言うから国は
仕方がなかったかも知れないが
国民が本当に仕方がなかったのかどうかは
わからない。




  国ってなんだろう


国ってなんだろう
分かるようで分からない
国民というと
国の民ということになるが
国の民というと
国に尽くす民ということになるのか


戦前は天皇陛下のために死ぬというのが国民の義務であったらしい
靖国で会おうと言って戦争で死んでいったらしい
靖国というのは
国のために戦って死んでいった者たちを讃える神社らしい
天皇陛下バンザイと死に
靖国に入ったけれど
その天皇が靖国に行かなくなった
行かなくなったことには深い理由があるだろう


はっきりしていることは
靖国は天皇と同じではないことだ


でも天皇陛下ばんざいと言って死んだものたちは
天皇と靖国は同じ存在だっただろう


多分
靖国は武士の思想がいっぱい詰まっているのだろう
天皇は皇族で
武士ではないのだから
武士の思想である靖国になにかひっかかりができたのだろう


武士と皇族の
思想のずれ
それが
今の靖国かも知れない




日本の政治というと
憲法はアメリカのGHQが作ったもので
アメリカか望んだ民主主義憲法ということで


でも日本は軍国主義だったし
自由民権運動家は弾圧されて
民主主義思想が熾烈な弾圧によって骨抜きにされたその絶頂期に
日本が戦争に負けて
日本国憲法ができた
だから
形式は民主主義になったのに
日本のリーダーは軍国主義と社会主義と共産主義しか残っていなかった
だから
どうやら
日本の民主主義思想家は脆弱のようだ


日本には民主主義思想家は居ない
と言いたくなるほどである





共同幻想論


マルクスのドイツイデオロギーかなにかの書物で
「国家とは共同体的幻想である。」
と書かれているのを読んだ時
そうかそうなんだ
国家とは共同体的幻想なんだと私は思い
納得した。
すると吉本隆明が
共同幻想論という本を出した
若い私はとても期待してその本を買って読んだ
マルクスの「国家とは共同体的幻想である。」を解明する本だと信じていた
吉本隆明の共同幻想論は
個人幻想
対幻想
家族幻想
から共同幻想へと理論は展開されていった


あれ変だぞと私は思った
変だと思ったついでに
こりゃ駄目だと思った


そう、


個人幻想
対幻想
家族幻想
なんてありはしない
共同幻想
なんてありはしない
マルクスは
共同体的幻想といったのであって
共同幻想とは言っていない


共同幻想は存在しない
ありもしないのをあるように
思い込んでいた吉本隆明は
まあ、
愚かであったということだ
すべてが
虚しい理屈
だったというわけだ




平和主義


私は平和主義が好きになれない


イランに核兵器を所有させてもいいじゃないか


ハマスは民に指示されたのだから


ハマスは民に指示されたのだから
パレスチナの代表である
ハマスが代表になったからパレスチナへの援助を打ち切るのは変である
民主的な選挙で選ばれたということは人民の意志が反映されているということであり
人民というのは根本的に平和主義なのだ
ハマスは人民に責任を持たなければならない
だからハマスも人民の望む政治をやらざるを得ない


パレスチナに経済援助を打ち切ったアメリカやEUは愚かだ


ハマスを選択するなら経済援助はしないという脅しは愚かだ




もうひとつの核の抑止力


核には戦争の抑止力があるという
なるほど
核を持っていれば他国から攻められないということか
他国から攻めれば
その国に核爆弾をお見舞いするというわけだ
それじゃあ
他国は核を保有している国を攻めるわけにはいかない



どうもうそ臭い






 町田の死


沖縄の学生運動で初めての犠牲者が町田なのだが
もう
色褪せた問題かも知れない
町田が殺される数時間前に
首里城跡に造られた琉球大学のキャンパスで
私は町田と話していた


私は国文学科の学生で
町田は電気科の学生だから知り合いになる環境ではなかったが
大学二年の時
彼は演劇部にやってきた
演劇が好きでもないし経験もないが
ジャン・ジュネの黒ん坊たちという戯曲を上演することになり
しかし、役者不足のために中里貞夫が無理やり入部させたのだ



町田は将軍の役でセリフは少ないが
「女郎屋へ。くそ女郎屋へ。」
意味不明なセリフでそれがまた町田は意味不明な表情で口に泡を飛ばして叫ぶものだから
仲間はみんな笑った。
でも町田はくそ真面目な奴で真剣にセリフを吐いただけだから
笑わなかった
なぜ皆が笑うのかも理解していなかった


町田を連れてきた仲里は変な奴で
演劇部であるのに
方言を使い
共通語はまるっきし駄目で
照明係り専門に徹していた


ジュネの黒ん坊たちはあっけなく頓挫し
毎夜酒飲み会が続き
町田は何時の間にか来なくなっていた
だから私が学生運動に首を突っ込まなければ
町田を顔を会わすこともなかっただろう
実際デモや会合や学生自治会で顔を会わすことはあったが
親しく話すことはなかった



「みんな元気か。」
と町田は聞き
「ああ、元気だ。」
と私は答える。
それだけの挨拶程度の会話だった


三年生になった時
私は国文学科の委員長になり
町田は電気学科の委員長になっていた
私は町田が学科委員長になっていることに驚いたが
町田も私が学科委員長になったことを以外に思ったかも知れない
まじめで従順なので先輩に望まれて断わることができなかったのだろう
私もしつこい先輩がいて
なんども断ったが私が出ないと政敵に委員長の座を奪われてしまうという脅しに負けて
委員長に立候補した
町田もそんなところだろう


一九七一年と言えば私は琉大に入って五年目である
多くの同期生は社会人になっている


私は松尾で家庭教師の仕事を早めに切り上げて与儀公園の県民大会に参加した
いつものように琉大の学生集団は大会の進行を無視してマイクをがなり立ててスクラムを組んでジグザグデモをやった
私はデモをするだけだろうと思っていたら壇上の上り日の丸と星条旗を焼いた
その演出があるとは知らなかったが
労働者の一団が襲ってきて学生は蹴散らされた。
私も逃げたが雨降りの後で土が粘土状になっている場所で逃げる途中で革靴が取れてしまった。
デモが終わればさっさと部屋に帰るようにしていた私だが
買ったばかりの革靴であり私は自治会の女性に私の革靴を探してくれるように頼んだ
ので彼女が帰るまで
自治会事務所の近くのキャンパスで待っていた。


闇の中で木にもたれながら時間を潰していた私のところに
黒い影が近づいてきた
「又吉。」
と私の名を呼んだ。それが町田だった。
町田は私に
家族闘争をやったかを聞き
私は家族闘争なんてできるはずがない
ばからしい
などと答えた


町田は「そうか。」と言い、
私は黙った


町田は私の家族のことを聞き
自分の家族のことを話した


私は家族のことを話し
私たちの考えを話しても理解するのは不可能であると断言した
そして
だから話さないと言った
町田は
「そうか。」
と言い、黙った。


フランスの学生は夏休みに家に帰ると
学生運動のことを家族に話し討論をし
家族に理解させる
だから
お前たちもやれと
家族闘争を運動のひとつにした


ここはフランスじゃない沖縄だ
民主主義さへ知らない親たちにアメリカ帝国主義やらベトナム戦争が社会主義とアメリカ帝国主義の覇権争いであるとか
祖国復帰運動とも平和運動とも違う自分たちの運動が理解できるはずがない
そもそも反帝国主義反スターリン主義を自分が本当に理解しているかどうかあやふやであるし、反帝国主義反スターリン主義が正論てあるかどうかを完全に信じることはできない
沖縄を民主主義社会にするのだという思想なら親にも話せるが星条旗と日の丸をやいたことを説明することはできない
私にはそんな思いがあったし
学生運動から離れて四年間も上演していない演劇に打ち込みたい気分だったから
私は町田を突き放していた


インターネットで検索すると
革マル派学生町田宗秀が琉大男子寮で殺される
とあるが
家族闘争さえできない柔な若者が
まるでゴチゴチの学生運動家として記載されることに
私は苦笑する


二人の居るところに私の革靴を探しに行った女が来て
私の革靴はなかったと知らされた
私はそうかと言い、立ち上がって帰ろうとすると
町田は
「又吉は男子寮に行くのか。」
と聞いた。私が「いや、違う。」と言うと、
町田は残念そうな顔をしていた
町田は私ともっと話しかったのだろう
個人的に話す相手は町田には居なかったのかもしれない
しかし、
私は個人的な話でも政治に繋がるような話はやりたくなかったから
「じゃな。」
と言って町田と別れた



私は部屋に帰り
私がくつろいでいる時に
町田は殺されていた


シャワーを浴びるために男子寮に行くと
異様な雰囲気で男子寮いるのはまずいはずの学生が数人玄関に居たので
私は裏口から入った
男子寮が襲われたことを知り
それから
朝まで
自治会室に居て
町田が死んだことや怪我の状況などを知らされた


町田の死に
私に涙の悲しみはなかった
町田を殺した組織への憎しみも怒りもなかった
家族闘争さえできない
大衆運動と革命論の中途半端な心の青年が
殺されるに値しない脆弱な若者が殺されたことへの虚しさが
私に残った
交通事故よりも
不自然な死のように感じた


町田が生きていたらどんな生活をしていただろう
多分県庁か電力会社の部長になって
普通の生活をしていただろう


伊平屋島には
食用カエルが田んぼにわんさか居るという
野生の山羊も居て捕まえるは自由だという
伊平屋島出身のシゲがそういうので
演劇部の夏の合宿を伊平屋島に決めた

しげ
けん
なえ
町田
高安
あっちゃん
みっちゃん


ところが稲刈り時期の田は水が抜かれ
乾いた田に食用カエルは一匹もいなかった
野生の山羊も村の許可なしには捕獲してはならないという掟があった
寝る場所は小学校の教室
机を並べ、その上に寝た
へびが入り込み大騒ぎ


しげは口八丁の男で
ジュネやバタイユが好きで
支離滅裂な話を平気でやる男だった


それでもどこかに責任感もある男でまるっきりのうそつきでもなかった
食用カエルは田には居なかったが
小学校の校長室の裏の池には居た
男四人が池に居る食用カエルを追っかけて二匹捕まえた


しげは掟を全然気にしない男だったから
町田を連れて山羊狩りにでかけた
町田は従順な男でしげのような男の言うことも素直に聞いたから
多分しげは町田を連れて行ったのだろう
無口であるから頑固な人間の印象があるが
素直で従順な性格だった
夜に
首を切り落とした子山羊を自転車の前に括り付けて
帰ってきた
女は悲鳴を上げ、食べることができなかったが
私たちはバーベキューにして食べた



沖縄に革命が起こり
革命兵士として敵に殺される死は価値ある死である
それ以外は
価値のない死だ
だから町田の死は価値のない死である
アメリカの強大な軍事基地が存在する沖縄で武力闘争なんてできない
大衆運動から革命へと転換させるのは不可能だ



自殺


いじめに会い自殺してしまう生徒が政治問題にされたものだから
色んな政治家や評論家が
自殺について語っている


こうすればいいとか
ああすればいいとか
色々論ずるが
いじめの問題は複雑というか色々なパターンがあるというかかなり難しい問題で
あるひとつの論理が解決への道となることはない




    美しい日本


美しい日本か
富士山は美しい
四万十川もまたうつくしい
国家の品格を書いた人は
日本の美しい田園はなくしてはならないという
美しい日本を思い浮かべてみると
美しい日本の情景には人間がいないのに気づいた
美しい田園には
ぼろ着を着た農民は似合わない
田園をつくる農民は排除して
美しい田園


貧しい農民のおんぼろな家や
年老いた農民が
田植えする姿や
稲刈りをする姿や
哀れな姿は排除して写真を撮る
ほら
美しい田園だ


貧しさも
不満を言わなければ美しい



東京にいけなかった私


東京には国会がある
政治家のトップクラスが集まるところだ
頭の優れた人は地方にも居て
でも地方でトップの政治家は国会議員となって東京に行く
だから全国から頭のいい政治家は東京に集まる


東京大学も東京にある。
東京大学だから東京にあるのは当たり前だから
東京大学も東京にあるというのは変な言い方だが
まあ東京大学も東京にあるである。
頭のいい学生が東京大学に入学する
東京には
早稲田大学とか慶応大学とか
とにかくトップクラスの大学が多くて頭のいい学生は
東京に集まる


大企業も東京に集まっているし
テレビ局や色々なサービス企業も東京に集まっている


頭のいい人や出世志向の強い人々は東京に集まる


そんなところが東京で
「朝は壊れやすいガラスだから
東京へ行くな」
と言った詩人も東京に行くのだから
東京はすごいところである。


私が東京に行かなかったのは
私は頭がよくないし
出世はしたいが出世する努力はしたくなかったから
東京にはいかなかったというわけだ


東京に行けない理由がもうひとつある。
東京は身の毛がよだつほど怖いところであるからだ


東京はテレビで放映されるが
東京のテレビは隠していることがある
東京はいたるところにカラスがいるが
あまり写さない


カラスは死肉を食らう


東京の至る所にカラスが居るということは
東京にはいたるところに死体が転がっているのだろう
カラスが死肉を食らうのは東京の不名誉だから
テレビ局は写さないようにしているのだろう


ガーガーと早朝から東京のカラスは鳴く
東京は恐ろしい
「朝は壊れやすいガラスだから」くらいの東京なら東京に行けるかも知れないが
朝っぱらから
死肉を食らうカラスが
ガーガーと
鳴く東京は恐ろしくて恐ろしくて行けない。