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オール沖縄の左翼が分裂していることを知っているか

オール沖縄の左翼が分裂していることを知っているか


普天間飛行場の辺野古移設に反対し、埋め立てを阻止するための座り込み闘争をしているのがキャンプ・シュワブである。座り込みを始めてからの日数を看板に書いている。すでに3000日が過ぎた。
キャンプ・シュワブが辺野古移設反対派の活動の場となっているが、反対運動の場はここだけではない。もう一か所ある。その場所は本部の塩川港である。
キャンプ・シュワブは土砂を運ぶトラックがシュワブに入るのを阻止する運動である。塩川港では安和桟橋で土砂をトラックから船に搬出するのを止める運動である。辺野古埋め立てを阻止する運動はキャンプ・シュワブと本部町塩川の二か所で展開している。
二か所で埋め立て阻止運動をしているのはオール沖縄が分担していると思うのが普通である。しかし、間違いである。シュワブは社民党系が阻止運動をやり、塩川港は共産党が阻止運動をやっている。シュワブに共産党員が参加することはない。県民大会などの大きな大会に限ってシュワブに参加している。
シュワブで運動を展開しているのが沖縄平和運動センターである。リーダーは山城博治であった。彼は過激な行動を繰り返した。写真は進入禁止のイエローラインを超えたので機動隊に逮捕される寸前の写真である。



沖縄平和運動センターの議長が山城氏から次の4人の共同代表に代わった。自治労兼本部副執行委員長の中曽根哲史(57)、社民党県連の上里善清県議(63)、社大党の比嘉京子県議(70)、県教職員組合(沖教組)の上原邦夫中央執行委員長(59)。代表が属している団体員が中心となってシュワブで座り込み運動を展開している。


若い時に原水禁大会が二つあることに気づき、不思議に思った。ひとつにしたほうが規模は大きくなる。一つにした方がいいはずなのになぜ二つにするのか。調べると社会党系と共産党系に分かれていることが分かった。


ウィキペティアの説明
年に1回、広島市と長崎市に原子爆弾投下のあった8月に「原水爆禁止世界大会」を開催するほか、各地で「核兵器廃絶」を掲げた運動を展開する。元々は、保革広範な運動体であったが、1960年(昭和35年)に日米安保反対の方針を打ち出したことにより、まず自民党系・民社党系が離脱し保守派は姿を消した。ついで1965年(昭和40年)には日本共産党派が当時友好関係にあったソビエト連邦と中華人民共和国による核兵器保有を擁護する立場をとったことから、日本社会党系がそれに反発して離脱・脱退して別団体の原水爆禁止日本国民会議(原水禁)を創設した。ただし分裂後に日本共産党は中ソ共産党と関係を悪化させたため、分裂時に批判していた核兵器全面禁止主張に原水協も変化した一方、逆に社会党系の原水禁は、日本社会党が反米・親ソ・親中・親北朝鮮の傾向を強めたため、その影響によって、中ソの核保有に擁護的になった。分裂以降の原水協は、このように日本共産党と中ソの関係悪化で中ソ核兵器容認から、現行の核兵器全面禁止に方針転換し、役員も日本共産党員が占める組織となり現在に至る。
               ウィキペティア
原水爆禁止大会は政党のイデオロギーの垣根を超えて、故翁長知事が言ったアイデンティティーで一つになって開催するべきである。ところが社会党と共産党はイデオロギーを優先させて分裂したのである。二つの原水禁大会がある原因を知った時、議会制民主主義の日本で社会党と共産党は与党になれないと思った。
現在も一つになれない状態である。だからシュワブと本部町塩川に分かれて埋め立て阻止運動をしているのだ。両政党はイデオロギーに固執していて法治主義よりもイデオロギーを優先させている。だから、辺野古移設を阻止することができない現実であるのに移設反対をやり、しかも分裂して阻止運動を展開している。無駄なあがきをしているだけである。


オール沖縄は左翼と対立した保守が離脱しただけでなく、残った左翼は分裂しているのてある。それも根が深い分裂である。このことを知らない人は多いだろう。