hijaiのブログ

沖縄、日本、世界の情勢や芸術について自由に意見するぞー

日本国民は左翼政党が政権を握ることを嫌っていた

日本国民は左翼政党が政権を握ることを嫌っていた


 1955年には自民党と社会党の二大政党時代になった。ところが70年の間社会党が単独で与党になったことは一度もない。政権を握った政党が政策に失敗すれば政権が代わる。自民党が政策に失敗すれば社会党政権になるはずなのに一度も社会党が政権を握ったことはないのだ。不思議である。普通ならありえないことであるが、日本では自民党から社会党への交代が一度も起こらなかったのである。共産党も一度も政権党になったことはない。不思議である。
社会党は1958年に168議席であった。その議席が社会党の最高議席であった。議席は次第に減っていき100議席あたりになった。1999年の議席は70議席であり、それが社会党最後の議席であった。社会党は社会民主党に改名したのである。もうひとつの政党である共産党は1879年の39議席が最高議席である。社会党と共産党の最高議席を合わせても2007議席しかなかった。政権党になるには240議席から260議席以上がなければならなかった。ということは社会党と共産党が合流しても政権を握ることはできなかったのである。これには驚いた。二つの政党が合流すれば、もしかすると政権を握ることができたかもしれないと予想していたが、二つの政党の最高の議席を合わせても過半数に達しなかったのだ。達しないどころか、過半数から遠く離れていたのである。


国会議員は国民の選挙で決まる。自民党が選挙に有利というものではない。選挙は平等である。平等であるのにまるで自民党が優遇されていて不平等であるように自民党の候補者が多く選ばれて自民党が政権を握り続けたのである。不思議である。社会党が与党にならなかったということは国民は社会党と共産党を政権に選ばなかったということである。のである。社会党と共産党を与党にしないことが国民の選択であった。それが国民の意思であったのだ。国民の選択は社会党を与党にしないことであった。それが真実である。


なぜ、国民は社会党と共産党を70年も与党にしななかったのだろうか。しなかった理由が国民にあるはずである。しかし、政治の専門家である評論家や学者がその理由を解き明かしたことがない。
国民が社会党、共産党を与党にしなかったことははっきりしている。それにははっきりした理由があったからである。偶然とは考えられない。必然であるだろう。専門家たちは社会党や共産党が与党になれなかった理由を調べて国民に明らかにするべきである。それをしないのは専門家たちの怠慢である。


自民党が政権党であり続け社会党、共産党が野党であり続けたのは自民と社・共の政治の方針と政策が違っていたからだろう。自民は自由主義と民主主義から政党名をとっている。社会党は社会主義からであるし共産党は共産主義から政党名にしている。

国民は政党名から政党の性質をイメージしただろう。戦後は米国とソ連が対立する時代になった。
米国は資本経済であり、自由と民主主義を主張する代議制国家であった。一方ソ連は共産党一党独裁の社会主義国家であった。国民は投票するとき米国とソ連を比較し、参考にしながら投票したはずである。