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性暴力を防ぐ目的で日本軍の慰安婦制度はあった あまりにもひどすぎるハマスの殺人・性暴力

性暴力を防ぐ目的で日本軍の慰安婦制度はあった あまりにもひどすぎるハマスの殺人・性暴力


 12月6日のネットニュースに10月7日にハマスがイスラエルを襲撃した時に集団レイプから遺体の性器切除があったことが載っていた。この記事を読んだ時に慰安婦のことが頭に浮かんだ。
 ハマスはイスラエル市民を急襲して一般市民を1200人を殺害した。市民殺害を目的にしたハマスの襲撃は許されないことである。戦争というより軍隊による市民への残虐である。そんなキマスなら性暴力はあると予想できたがニュースになることはなかった。襲撃から2カ月も経過してからハマスの性暴力がニュースになった。


・やぶの中に隠れていたところ、隣にいた女性が複数の男性にレイプされるのを見たと言っていた」と話した。
・遺体が同じパターンで切断されていた。この女性たちが処刑される前にレイプを受けたことは疑いようがなかった。
 イスラエルはハマスの性暴力を発表した。残酷な性暴力であるが、戦場ではそれが現実に起こる。現代はこのような性暴力を禁じている。しかし、ハマスはあまりにも卑劣な性暴力をイスラエル市民にやったのである。
ハマスの性暴力を防ぐために旧日本軍が設置したのが慰安所である。慰安所とは日本軍基地に設置した日本兵専用の売春宿である。慰安所を設置することによって日本兵による一般女性への性暴力を防いだのである。


日本は戦争で女性の性被害を防ぐ目的で慰安所を設置した。なぜ、日本は慰安所を設置するようになったのか。その原因を知るには戦国時代までさかのぼる。
 慰安婦の歴史を2017年に出版した「彼女は慰安婦ではない 違法少女売春婦だ 少女慰安婦像は韓国の恥である」に掲載した。


大坂夏の陣図屏風 (大阪城天守閣・国指定重要美術品)である。


各隻150.3x360.7㎝の大画面に、人物5071人、馬348頭、幟1387本、槍974本、弓119張、鉄砲158挺などが精緻に描き込まれている。右隻には1615年6月3日(慶長20年5月7日)大坂夏の陣最後の戦いの様子が、左隻には大坂落城間際、または後の大混乱する様を迫真的に描き出している。全体的な構図は大坂城を中心に、向かって右が南、左が北で、右から左へ合戦の推移が時系列順に自然に展開するよう工夫されている。それだけなら合戦の絵であるが、大坂夏の陣図屏風には合戦ではなく戦争から逃げようとする敗残兵や避難民が描かれていて、略奪・誘拐・首狩りしようとする徳川方の兵士や野盗も描かれている。このような生々しい描写は他の合戦図屏風には見られない。


制作時期は、生々しい描写から陣後まもなくだったと推測される。福岡藩の故実によれば合戦に参加した黒田長政が、この戦いを記録するために筆頭家老の黒田一成、または家臣の竹森貞幸に命じて作成したものとされる。ただ、長政は右隻第2扇目中央やや上に、あまり目立たない形で描かれている。異説として右隻第3扇目上部にこの戦いで討ち死にを遂げた本多忠朝が奮戦する様子を描いていることから本多家で作られ、それが婚礼の輿入れ調度の一つとして黒田家にもたらされたとする説もある。しかし、黒田吉之に本多家の姫が輿入しているが、光之が編纂させた黒田家の故実成立と時期が重なっているためにこの説の信憑性は薄い。


描いたのは「八郎兵衛」なる絵師が一人で描いたとする説や、土佐派を学んだ「久左衛門」、両者を折衷する説、右隻と左隻で保存状態が異なり(左隻のほうが状態が良い)、描写の微妙な差異が指摘されることから、左隻はやや後に別の絵師によって作られたとする説や、同一工房内で複数の絵師が手掛けたとする説がある。
大坂夏の陣図屏風は戦をテーマにした絵である。武将たちが勇ましく戦っている絵が多い。しかし、この屏風は他の戦の屏風とは違う絵がある。兵士たちが戦っている絵だけではなくて、戦乱から逃げようとする町民を兵士が襲っている絵もある。
そして。女性が兵士に襲われる衝撃的な絵がいくつもある。世界でもこんな絵は少ないと思う。








戦場は無法地帯であることをこの屏風絵は如実に表している。殺人をしても強姦をしても逮捕する警官はいない。 兵士のやりたい放題である。
勝ったほうの兵士は農民・町民の財産を取り上げ、抵抗するものは殺し、女を強姦する。それが当たり前のように行われていたのが戦場である。
  
 それは歴史的事実である。NHKの日曜大河の戦国時代ドラマの戦争の裏には農民・町民の惨劇が繰り返されていたのである。しかし、NHKは武将たちのかっこういいドラマを描くだけである。NHKだけでなく時代劇ドラマでは戦争の裏側で町民や農民が兵士に略奪され、殺され、強姦される凄惨な様子はほとんど描かない。描いてあるのが大坂夏の陣図屏風である。
大坂夏の陣図屏風は戦争をリアルに描いたというより、あってはいけない戦争の悲劇を描いたのだと考えられる。
 このような女性の性被害をなくすことを武将たちは考えていた。それが公娼制度の始まりである。
          少女慰安婦像は 韓国の恥である
 日本における公娼制度の歴史は、一一九三年(建久四年)に、遊女屋および遊女を取り締まるために、源頼朝が里見義成に遊女別当を命じたことが、関連する史実の文献初出であるらしい。
室町時代足利氏は、一五二八年(大永八年)に傾城局をもうけ、竹内新次郎を公事に任じ鑑札を与えて税金を取った。 売春業を公に認めたのである。
戦国時代には、続く戦乱によって奴隷売買も盛んになり、遊女も増えた。性暴力を減らす 方法として遊女を増やしたのだ。
 日本の武士は戦争で女子や農民が犠牲になるのを避けた。徳川家康が率いる東軍と、石田三成や毛利輝元が率いた西軍による1600年(慶長5年)の天下分け目の有名な合戦があったのは関ケ原である。面積は二四・五ヘクタールである。合戦は農民などの武士ではない人々を犠牲にしない場所で行われたのだ。
 慰安婦は日本独自のであり、他の国にはなかった。慰安婦所を管理することで日本兵の婦女暴行は減り、性病も押さえた。日本軍が強かったのには慰安婦の存在が強く影響している。


 慰安婦が性奴隷ではないことは明治維新は四民平等であったこと。帝国憲法を制定し、法治主義の日本になったことで日本軍が慰安婦を性奴隷にすることはあり得ないと考えていたが、まさか慰安婦の始まりが戦国時代にあったとは予想していなかった。日本の武士階級は戦争は武士と武士の戦いであり、農民や女子が戦争の犠牲になることを避けていたのだ。その思想が日本には深くあり、日本軍の慰安婦制度が生まれたのである。イスラエル人を無差別に殺害したハマスとは全然違う。ハマスの無差別殺人は絶対に許されないことである。


 ハマスはイスラエルの兵士ではなくコンサートなどの市民が集まっているいる場所を襲い、最初から市民の命を狙って襲撃したのである。ハマスの襲撃は戦争ではなく殺人、婦女暴行の犯罪行為である。軍隊が武器を持っていない市民を襲撃して殺害、婦女暴行したというのは前代未聞の残虐行為である。
 ハマスにとってイスラエル人は宗教が違うし民族も違う。ハマスにとってイスラエル人は人間ではないのだ。滅ぼすべき「魔の生き物」なのだ。だから、イスラエル人を殺害し、婦女暴行するのだ。


 イスラエル人を無差別に殺害したハマスにイスラエル政府は死刑判決を下した。イスラエル軍はハマスを処刑するためにガザに侵攻した。ハマスはイスラエル軍の攻撃を防ぐためにガザ市民を盾にした。ハマスはガザ市民を盾に利用すればイスラエル軍は市民を攻撃するのを避けてハマス攻撃が鈍ると予想していたはずである。ガザ市民を盾にすればイスラエル軍と五分五分の戦いができると予想していた。綿密な計画を立てた上でハマスはイスラエル襲撃をしたのだ。ところがハマスの予想に反してイスラエル軍は市民が犠牲になるのをかまわずに激しい攻撃をした。イスラエル軍はハマスの盾であるガザ市民を犠牲にしてでもハマス殲滅に徹したのだ。


 ガザ市民の死者は1万7000人以上である。死者はハマスがガザ市民を盾に利用したことと、イスラエルがハマス殲滅を優先してハマスの盾にさせられたガザ市民も攻撃したからである。ガザ市民の死の原因はハマスにある。しかし、連合やマスコミはガザ市を攻撃しているイスラエルを非難している。攻撃しているのはイスラエルであり、多くの市民が死んでいるのは事実であるが、そのようになるように仕組んだのはハマスである。


市民の被害を減らすにはハマスと市民を引き離さなければならない。引き離せばイスラエル軍はハマスだけを攻撃する。市民は攻撃しない。市民の死者は激減する。市民の被害が減ることを真剣に考えるならばハマスに市民から離れるように要求するべきである。連合が市民から離れるようにハマスに要求しないのは市民の被害をなくす方法を真剣に追求していないからである。


 イスラエル軍は11月までにガザ北部をほぼ掌握したという。北部の市民の死者数に注目するべきである。激減しているなら、イスラエル軍が制圧した地域は死者が激減するということである。北部を制圧したイスラエル軍は南部に侵攻している。南部のガザ市民の犠牲が増えている。もし、北部の市民の犠牲が激減しているなら南部でもイスラエル軍が制圧すれば市民の犠牲は確実に激減する。南部でもハマスが敗北するのは確実である。連合は一日も早く戦争を終わらすためにハマスに降伏することを要求するべきだ。


イスラエルの国家安全保障顧問は7000人以上の(イスラム主義組織)ハマス戦闘員を殺害した」と述べた。ハマス戦闘員は3万人いたとみられており、2割以上に相当する。
イスラエル軍は3日にガザ南部ハンユニスなど全域での地上侵攻を開始後、多数のパレスチナ人を拘束している。ネタニヤフ首相は10日の声明で「ハマスのテロリストよ、もう終わりだ」と宣言している。
 ガザ市民の死者激減は近づいていると思う。