hijaiのブログ

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今度は自称ノンバイナリーの男性が女子1500メートルで優勝

今度は自称ノンバイナリーの男性が女子1500メートルで優勝


トランスジェンダーについて述べる時に「出生時に充てられた性別と“逆”の性で生きる人のこと」と『出生時に充てられた性別』と強調する。決し『医学的に決まった性』とは言わない。医学的に男性と書けば読む人は男性をイメージする「自称女性」をイメージする時に男性が女性を装っているように想像する読者は多いだろう。そのようにイメージさせないために「出生時に充てられた性別」とまるで非科学的な政治判断で割り当てられたように表見するのである。このような捻じ曲げた表現は沖縄では何度も見てきた。
例えば辺野古問題で、辺野古の海を埋め立てて米軍飛行場を建設するのは普天間飛行場を移設するためであるが、辺野古移設反対派は移設飛行場とは言わない。「新基地」という。普天間飛行場の移設だとイメージさせないためだ。それに飛行場ではなく「基地」と言う。辺野古に新しい米軍基地を建設するというイメージを持たすためである。本当のことを捻じ曲げるために使用する言葉を変えるのは左翼の得意である。「出生時に充てられた性別」は左翼の得意とする真実の捻じ曲げである。


 ノンバイナリー系トランスジェンダーを公表するニッキー・ヒルツ(28歳)選手は7月8日(現地時間)、アメリカのオレゴン州で行われた全米陸上競技選手権大会に参加し、女子1500メートルレースで優勝した。
出生時の性別に違和感をもつが、男の性でもないし女の性でもないという二軸で性に属しない人間をノンバイナリーという。ニッキー選手は医学的には男性であるがノンバイナリーを自任しているのだ。
 医学域には男性であり、自称では男でも女でもないニッキー氏が女子の1500メートルレースに参加したのである。女子ではない選手が女子のレースに参加できたのか不思議である。
ニッキー選手は、今大会での優勝はトランスジェンダー・コミュニティにとっての“勝利”であると述べている。男性でありながら女子のレースに参加したトランスジェンダーの勝利であるのだ。



 ニッキー選手が優勝した瞬間の写真である。他の選手と足をを比べてほしい。女子選手の太ももは柔らかそうである。しかし、ニッキー選手の太ももは筋肉質である。これは男性と女性の筋肉の質の違いである。男性の筋肉を持つニッキー選手が優勝するのは当然である。
トランスジェンダーが女性競技に参加するのはトランスジェンダーによる女性差別であると考えるべきである。スポーツはLGBTの精神論よりも医学の判断をもっと尊重するべきである。