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10年前の「オール沖縄」はすでに破綻している

10年前の「オール沖縄」はすでに破綻している


 10年前の1月27日に沖縄の41市町村長と議会議長が参加したデモが東京であった。このことを琉球新報と沖縄タイムスは報道した。
琉球新報
「オール沖縄につながる建白書から10年 地元の民意、無視する形変わらず 辺野古断念の署名も呼びかけ」「『日本から出て行け』 沖縄からの要請団に10年前、銀座の沿道から投げられた言葉 今の空気は」
沖縄タイムス
「再び銀座を行進、沖縄の過重な基地負担を訴え 保革を超えた上京行動から10年」「沖縄知事が辺野古埋め立て承認、普天間合意から17年」
の記事を掲載した。
10年前の東京デモはオスプレイの普天間飛行場配備に反対、米軍普天間飛行場の県内移設断念を求めるものであった。東京デモの後に翁長那覇市長を中心とした保守と共産党・社大党・社民党の左翼系が合流してオール沖縄を結成した。


琉球新報は、デモ隊に対して「売国奴」「日本から出て行け」と沿道から憎しみに満ちた言葉が飛んだことを取り上げている。そのことはデモ隊にや大きなショックを与えたが、それよりもショックであったのはで沿道の無関心さであったという。このことを新報は次のように書いている。
「先頭を歩いた那覇市長(当時)の翁長雄志さん(享年67)は、帰沖後、妻の樹子さんに「汚い言葉より沿道の無関心さがショックだった」と打ち明けた。後に市議会で当時の心境を問われ「(多くの国民は)何事も起きていないかのように目と耳をふさぎ、思考停止状態に陥っている」と振り返った・・・・。
新報は10年前の無関心よりも今の方が無関心がひどくなっていると指摘している。


あれから10年。当時の参列者は国内世論が「さらにひどくなった」と感じる。ロシアのウクライナ侵攻、強調される台湾有事。自衛隊強化も進み、沖縄の負担は増すばかり。インターネット上にはあの時と同じ沖縄憎悪の言葉が並ぶ。もっと多くの無関心が潜む」
と新報は述べている。政府は聞き耳を持たず、裁判所は政府よりの判決を出した。本土の無関心との戦いは今も続いていると指摘している。


 東京デモは2013年である。私はデモの一年前の2012年に「沖縄に内なる民主主義はあるか」を出版した。その本に「普天間飛行場の移設は辺野古しかない」を掲載した。
2005年に稲嶺恵一元知事は知事は小泉首相に米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古崎への移設案は「容認できない」と述べ、県外移転を求めた。小泉首相は稲嶺知事の要求に応じて県外移設地を探した。
私は県外移設ができないことを知っていた。普天間飛行場を移設する原因は1995年(平成7年)に米兵たちが少女暴行したからである。
米兵は殺人訓練を受けている。米兵は殺人、婦女暴行をやるという噂が全国的に広まった。だから、普天間飛行場を受け入れる自治体は存在しないと考えていた。それに移設するには普天間飛行場に加えて兵士の家族住む住宅と娯楽施設が必要である。普天間飛行場の2倍の敷地が必要である。そんな場所を探すのは困難である。
普天間飛行場は海兵隊基地である。戦場に真っ先に駆け付けるのが海兵隊である。だから、国外のグアムなどに移設するのはできない。
 普天間飛行場の県外移設、国外移設は不可能であることを知っていた。このことを「沖縄二内なる民主主義はあるか」に書いた。


目次
第五章 普天間飛行場の移設は辺野古しかない 103
沖縄県の人口の推移 104/戦前の沖縄の人口は60万人が限度だった 105/
農業中心の沖縄の人口を推計する 105/沖縄の人口増加は基地経済が原因 108/
宜野湾市の戦後の経済発展の要因 108/沖縄に米軍基地が存在している理由 111/沖縄の米軍基地強化と密接な関係がある旧ソ連圏の脅威的な拡大 114/沖縄の米軍基地強化と密接な関係がある中国の勢力拡大 116/沖縄の米軍基地強化と密接な関係があるアジアの冷戦 116/沖縄の米軍基地強化と密接な関係があった朝鮮戦争 117/普天間飛行場強化は共産主義勢力の封じ込み戦略のひとつであった 119/普天間飛行場の歴史 120/普天間第二小学校 126/普天間第二小学校の移転問題 128普天間飛行場のクリアゾーンに人が住んでいるのは誰の責任か 131/普天間飛行場の移設問題 133/国外移設運動の歴史 135/県外移設運動の歴史 136/沖縄の構造的差別は本当か 137/構造的差別論は反戦・平和主義ではない 140/普天間飛行場の国外移設=グアム移設は可能か 141/普天間飛行場の「県外移設」は可能か 143/県外移設論者たちのずるさ 145/辺野古移設は可能か 147/辺野古は米軍基地を受け入れて繁栄した過去がある 148/今も中国・北朝鮮と周辺国との緊張状態は続いている 150/米軍基地があるから戦争に巻き込まれない 153/沖縄にヘリコプター基地は必要 154


2013年に辺野古移設に関することで起こったことははオール沖縄の東京デモだけではない。仲井真知事が辺野古埋め立てを合意したのも同じ年の2013年である。仲井真知事が辺野古埋め立てに合意する前に私は普天間飛行場の移設は辺野古しかないことを指摘していた。理由は県外移設、国外移設が不可能であるからだ。「沖縄に・・・」で不可能であることを説明した上で辺野古移設しかないと指摘したのである。仲井真知事は私の予測通りに辺野古埋め立てに合意した。


東京デモの10年後に「止めよう!  辺野古埋め立て」国会包囲実行委員会は10年前と同じ会場で集会を開いた。当時は41市町村の首長や議会などが結束した集会であったが、今回は主催者発表で約800人参加の小さい集会だった。市町村長は参加していない。沖縄でも集会があった。参加したのは主催者発表で500人だった。10年前とは違って小さい集会になった。10年の歳月が辺野古移設反対のオール沖縄を衰退させていったのである。


県庁前の県民広場で開いたオール沖縄会議主催「民意実現を求める沖縄県民集会」で10年前の41市町村の首長や議会などが結束して安倍晋三首相(当時)に提出した『建白書』は「過去のものではない」と主張した。いやいや過去のものである。
オスプレイは普天間飛行場に配備された。今ではオスプレイ撤去の声は聞こえなくなった。辺野古の移設工事は着々と進んでいる。「建白書」はすでに過去のものとなっている。破綻した10年前の建白書にしがみついているのがオール沖縄である。
タイムス、新報は10年前の建白書提出を報道しているが同じ年に仲井真知事は辺野古埋め立てを政府と合意している。知事は県民の選挙で選ばれているし県民の代表である。県民の代表が政府と辺野古埋め立てを合意したのである。建白書提出よりも埋め立て合意の方が政治としては重い。ところがタイムス、新報は建白書提出だけを報道して、埋め立て合意は報道していない。
2013年には県知事、名護市、宜野湾市が辺野古移設に合意していたのである。3者の合意があったから辺野古移設工事は進んでいる。一方、オール沖縄から保守は離脱し左翼だけになった。辺野古移設反対のオール沖縄は衰退しているのが沖縄の現実である。


2006年(平成11年)に政府と島袋市長は辺野古移設を合意した。合意した理由を述べたPDFである。



普天間飛行場代替移設に係る基本合意書について


普天間飛行場代替施設について、名護市は、平成8年4月、橋本龍太郎首相とモンデール米国駐日大使館との会談で、普天間飛行場の全面返還が合意され、その後、比嘉鉄也元市長、岸本建男前市長、そして私と三代にわたり、この問題に向き合ってまいりました。
平成11年11月沖縄県から普天間飛行場代替施設の移設候補地としての協力依頼を受け、同年12月岸本建男市長が基本条件を付して受け入れを容認し、「普天間飛行場の移設に係る政府方針」が閣議決定されました。その後、同閣議決定に基づき、国・県・名護市を含む関係地方団体で構成する代替施設協議会で、原稿案が合意されました。
この沿岸案は、それまで一度も協議が行われたことはなく、滑走路延長線上に民間住宅が位置し、学校が近在するなど住民生活への影響が鑑みても、全く受け入れることはできないと考えてきました。
 私は、日米安全保障体制を容認する立場でありますが、国が一方的に沿岸案を押し付けるという行為は、断じて行うべきではないと考えておりました。
県内外には、県外移設や国外移設、即時返還を望む声があります。私もできるならば、県外移設が望ましいと考えております。
私はこの問題について、これまでの敬意を踏まえ、何度も何度も自ら問い質し、熟慮に熟慮を重ねてきました。その結果、岸本建男前市長が主張した、原稿案のバリエーションの範囲であれば、久辺三区をはじめ関係機関、団体等の
意向を踏まえ、政府との協議に応じるというという考え方を踏襲することにいたしました。
そして、辺野古地区、豊原地区及び安倍地区の上空の飛行ルートを回避することが、地域住民の生活の安全を確保する上で、譲ることのできないラインだと考えるにいたりました。
 私はこうした基本的な考え方のもとに防衛庁と話し合いを重ねてまいりました。その結果、昨日、防衛庁が提案した内容は、これまで名護市及び宜野座村の要求にある民間築の上空を飛行しないということが示されたことにより、別紙の基本合意を交わすことといたしました。
 今後は、基本合意書をもとに、普天間飛行場の代替施設建設について、継続的に協議を続けることになります。住民生活や自然環境に著しい影響を与えない施設計画となるよう取り組む必要があると考えており、地元、関係機関、団体等の移行を踏まえ、適切に対応していきたいと考えているところであります。
 市民の皆様をはじめ、地元、関係機関、団体等の方々のご理解をよろしくお願いします。


      平成18年4月8日
        名護市長 島袋吉和