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辺野古移設は左翼の衰退が目的

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辺野古移設は左翼の衰退が目的


日米政府の辺野古移設の目的は普天間飛行場を辺野古に移設することが本当の目的ではない。辺野古移設を決めたのは普天間飛行場の危険を取り除くのが目的ではなく米軍基地反対運動の高まりを抑えるのが本当の目的だ。

 30年前の1995年9月に普天間飛行場移設につながる事件が起きた。米兵3人が車で基地外に遊びに出掛けた際に、沖縄本島北部の住宅街で買い物帰りの小学生を無理やり車に押し込み、ガムテープで目や口をふさぎ、手足をしばるなどして、約1・5キロ離れた場所まで連れて行き、車内で乱暴したのである。

沖縄県警捜査一課と石川署は、小学生女児に暴行したとして、米軍基地所属の米兵3人を監禁と婦女暴行容疑の逮捕状を取り、米軍側に身柄引き渡しを要求した。しかし、米軍は米兵の身柄を引き渡さなかった。日米地位協定で「日本側が起訴するまで米軍側が身柄を拘束することを認めている」からである。米軍は日米地位協定を根拠に引き渡しを拒否したのである。

米兵3人の少女に対する県民の怒りは高くなり反米軍運動が始まった。<center>

<img src="https://img03.ti-da.net/usr/h/i/j/hijai/米兵の少女_c34.jpg" width=450></center>

「米兵の少女暴行事件糾弾」運動が高まっていき「安保条約破棄・基地撤去」に発展していった。日米政府は基地撤去運動に発展していくことを恐れた。基地撤去運動に発展することを抑える方法として考えたのが普天間飛行場の辺野古移設である。日米政府は普天間飛行場を辺野古に移設することを発表した。辺野古移設を発表すると次第に反基地運動が弱くなっていった。


辺野古移設は普天間飛行場の返還である。だから、宜野湾市民にとって米軍基地撤去となる。辺野古移設=普天間飛行場撤去となるから辺野古移設に賛成する宜野湾市民が増えた。


比嘉盛光氏は97年に「県内移設反対、無条件返還」を掲げて宜野湾市長選に立候補して当選した。しかし、01年の市長選では革新系の支持母体から「県内移設反対」で再選出馬するよう要請を受けたが、比嘉氏は数か月の熟慮の末、

「国の全面支援がなければ跡地の利用や開発も困難を伴う」

と考え、「移設容認」の立場で出馬した。

支援者らからは「裏切り者」などと激しい批判を浴びたが比嘉氏は再選された。ということは宜野湾市民の過半数は辺野古移設容認であったということだ。だから、比嘉氏は市長選に当選したのだ。


政府の辺野古移設の狙いは米軍基地反対派を分断して、弱体化するのが狙いだったのだ。狙い通りに米軍基地反対派は辺野古移設の容認派と反対派に分裂した。それは反米軍基地運動の弱体化である。

宜野湾市長選で辺野古移設容認をした比嘉氏を「裏切り者」と激しく批判した連中が辺野古移設反対派である。彼らは沖縄の米軍基地全て撤去を目指しているから県内移設でしかない辺野古移設には反対である。「米兵の少女暴行事件」を利用して「安保条約は破棄・米軍基地撤去」の運動を拡大しようとしたが「普天間飛行場の辺野古移設」によって弱体化されたのである。



比嘉氏は辺野古移設反対の思想信条を貫くことは、普天間飛行場の早期返還につながるのか――。移設先になるにもかかわらず、受け入れを容認した岸本市長らの重い決断を目の当たりにしていた比嘉さんは葛藤した。睡眠導入剤が手放せなくなった。数か月の熟慮の末、「国の全面支援がなければ跡地の利用や開発も困難を伴う」と腹をくくり、「移設容認」の立場で出馬した。支援者らからは「裏切り者」などと激しい批判を浴びた。しかし、比嘉氏は再選された。


辺野古移設をする政府は米軍基地反対派を弱体化させるのが目的である。辺野古移設そのものが目的ではない。辺野古移設は米軍基地反対派を弱体化させるの目的である。目的通り米軍基地反対派を弱体化させた。目的は達成したのである。

目的を達成した政府は急いで辺野古移設をする必要はないのである。ゆっくりでいいのである。