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習主席は中国をレーニンと同じ社会主義国家にしようとしている

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習主席は中国をレーニンと同じ社会主義国家にしようとしている


習近平氏が中国の主席に最初に打ち出した大規模の政策が一帯一路であった。アジアとヨーロッパを結ぶ壮大な構想である。一帯一路は中国の国内政策ではない。習近平が共産党の総書記から国家主席になったのは2013年の59歳の時である。ベテランであるから国内政治の構想も一帯一路以上に固まっていたはずである。しかし、政府には人民解放軍系の政治家が多く、国内政治は解放軍牛耳っていた。経済政策は鄧小平の市場経済政策が定着していたから習主席の新しい政策を掲げるのは困難だっただろう。習主席の目指す政治を実現するには解放軍系の政治家を排除しなければならなかった。習主席は解放軍を弱体化していった。そして数十人の最高位の将軍に加え、数百人の下級将校を解任していった。人民解放軍の指揮系統は弱体化した。これで。習主席の独裁政権ができあがったのである。

人民解放軍を排除して、習主席が実施したのが大企業の国営化である。中国は多くの民営の企業が多い。鄧小平の市場経済政策によって多くの民営が企業誕生した。才能ある起業家によって民営企業はどんどん成長していき大企業になっていった。中国は社会主義でありながら多くの民営企業が存在する国家だった。民営企業というのは資本家が所有する企業である。ということは資本家が労働者を搾取する世界である。

資本主義国家と社会主義国家の違いは資本主義国家は資本家が労働者を搾取する会社であることだ。米国、日本、イギリスなどは資本主義国家である。民間人が会社を所有して資本家階級となり労働者階級を搾取している国である。社会主義国家とは資本家を弾圧し排除していく国家である。最初に社会主義国家になったのがレーニンが設立したソ連であった。ソ連は米国や日本のように会社を私有していた民間人は排除していったから民間の資本家はいなかった。企業は国が所有していた。国営である。



レーニンが目指した理想の国家は、労働者階級・資本家階級という階級が存在しないで、国家や政府による強制的な暴力機関が不要となった「共産主義社会」である。「共産主義社会」の前が「社会主義社会」である。「社会主義社会」では、労働者(プロレタリアート)がソビエト(労働者・兵士・農民の評議会)を通じて国家を管理し、生産手段の公有化を実現する「プロレタリア独裁」を理想とした国家である。ソ連や現在の中国が社会主義社会である。

 社会主義国家を最初に創設したのがロシアのレーニンである。レーニンは理論に優れた革命家であり、

資本主義国家→社会主義国家→共産社会へと発展していくという理論をつくった。


レーニン

ロシアのボリシェヴィキの指導者。ロシア革命を指導し最初の社会主義国家を建設した革命家。


レーニンは若い時に兄の影響で早くから社会主義運動に入った。ペテルブルクでマルクス主義グループに加わり、独自の革命理論を作っていった。1895年、ペテルブルクで労働者階級解放闘争同盟を組織、一時捕らえられてシベリアに流刑となり、1900年に亡命した。 


二月革命

 第一次世界大戦が起こると、帝国主義戦争に反対し、第2インターナショナルと対立した。1916年には『帝国主義論』を著し、資本主義社会の矛盾点を明らかにした。

 1917年、ロシア二月革命が起こり、ロマノフ朝のツァーリ専制政府が倒れ、ブルジョワ立憲主義者を中心に臨時政府が成立した。一方でペトログラードなど各地で労働者・兵士のソヴィエトが成立し、ロシアは二重権力の状態となった。4月にレーニンは亡命先のスイスからロシアに戻り、直接ボリシェヴィキを指導することとなった。レーニンはただちに「四月テーゼ」を発表し「すべての権力をソヴィエトへ」という指針を打ち出した。


革命は、権力をブルジョワジーに与えた第一段階から、労働者・貧農に権力をひきわたす第二段階へと移行しつつあるとレーニンは主張した。目指すべき目標は、議会制共和国ではなく「下から成長してくる全土の労働者・雇農・農民代表ソヴィエトの共和国」であるとレーニンは主張した。社会主義を直ちに導入することはできないが、第一段階として、ソヴィエトは「社会的生産と分配」を統制すべきであるとレーニンは述べた。

 7月、レーニンの指導するボリシェヴィキは臨時政府の戦争継続に反対して大規模なデモを組織した。レーニンとイデオロギーで対立するメンシェヴィキの臨時政府はエスエル右派のケレンスキーが首相となり、ボリシェヴィキを弾圧にのりだした。レーニンをドイツのスパイであるとして逮捕しようとした。レーニンは難を避けてフィンランドに亡命した。フィンランド亡命中に、レーニンは『国家と革命』を書いて二月革命のブルジョワ革命をさらに一気にプロレタリア革命に発展させ、議会政治を否定してボリシェヴィキ独裁体制を樹立すべきであると主張した。

 『国家と革命』はレーニンの書物で一番有名である。


レーニンは、臨時政府の弾圧を避けるために変装してペトログラードに戻りボリシェヴィキの武装蜂起を組織した。1917年11月7日 に臨時政府を倒して十月革命を成功させた。


ボリシェヴィキ独裁の実現

 レーニンが革命の過程でもっとも大胆な行動を起こしたのが、1918年1月の憲法制定議会の閉鎖であった。これはロシアで最初の普通選挙によって議員を選出し、憲法を制定することを目的としていたが、選挙の結果はボリシェヴィキは第1党になれず、議会を通じて革命的政策を実現することはできなかった。レーニンはそのような議会政治に決別すべく、ボリシェヴィキの武力を動員して議会を閉鎖し、ボリシェヴィキ独裁を実現させた。この路線がさらに強められ、ソヴィエト政権下ではボリシェヴィキ以外の政党は禁止された。議会政治も否定されて、選挙は実施されなくなった。これがレーニンのロシア革命である。

 ロシアでは選挙に議会制民主主義が成立していたのにレーニンの社会主義によって破綻させられたのである。ロシアには議会制民主主義政府が存在していたがレーニン率いる社会主義のボルシェビキによって潰されたのである。


 中国では社会主義の毛沢東率いる人民解放軍と蒋介石率いる国民党が、20世紀前半の中国で権力を争った(国共内戦)。日中戦争中(第2次国共合作)は一時連携したが、戦後の1946年から本格的な内戦に突入した。ソ連の支援を得た毛沢東が勝利し、1949年に中華人民共和国を建国した。敗れた蒋介石は台湾へ逃れ、中華民国政府を台湾に移した。台湾に逃れたので国民党は毛沢東に潰されなかった。ロシアの議会制民主主義はレーニンによって潰された。しかし、中国では台湾に逃げて生き延びた国民党が独裁国家から選挙による議会制民主主義へと変わっていった。台湾は民主主義を発展させていった。


 同じ社会主義国家を創設したレーニンと毛沢東であるが二人の政治には大きな違いがある。レーニンは資本主義と社会主義を論理的に完ぺきに区別していた。資本主義を徹底的に排除したのがレーニンである。毛沢東は違った。毛沢東は資本主義を徹底して排除することはしなかった。鄧小平の社会主義市場経済を黙認したのである。レーニンだったら資本主義経済を採用した鄧小平をブルジョアジーだと非難し、弾圧して排除していただろう。

 中国にはレーニンのような社会主義イデオロギーに徹した政治家はいなかったのである。だから、社会主義でありながら米国、日本、EUと親しく交流し。多くの大企業が中国に進出するのを歓迎した。中国に進出した資本主義の企業によって中国経済は大発展したのである。


 2013年に中国の主席になった習氏は毛沢東と違った。習主席はマルクス・レーニン主義を宣言したのである。マルクス・レーニン主義を宣言した習主席は人民解放軍幹部を排除していった。レーニンがメンシェビキ派を排除したのと同じである。民間企業を国有化しているのもレーニンと同じである。習主席はレーニンと同じ社会主義社会を実現しようとしているのだ。


 これからの中国は変わっていくだろう。