普天間飛行場の辺野古移設は県民が賛成
沖縄県知事
1968年 屋良朝苗
1976年 平良幸市
1978年 野島武盛
1978年 西銘順治
1990年 大田昌秀
1998年 稲嶺惠一
2006年 仲井眞弘多 辺野古移設承認
2014年 翁長雄志
2018年 玉城デニー
自民党と革新は皇后に知事になっていた。しかし、稲嶺惠一、仲井眞弘多と自民党の知事が続き、16年間自民党の知事が続いた。
2期8年を務めたら次に譲るのが暗黙の約束になっていて仲井間知事は8年務めたので知事を辞めて次は翁長氏が立候補する予定だった。翁長氏は自民党員であり仲井間氏の後継者として知事選に立候補するはずであった。しかし、翁長氏に異変が起こった。仲井間知事が2013年に承認した辺野古移設に反対することを表明したのだ。そして、自民党を離脱した。自民党のトップの存在であり、仲井間知事の次の知事立候補することが内定していた翁長氏だったのに自民党を離党したのである。
2010年に「沖縄県議会が「全基地返還すれば9165億6000万円の経済効果がある」を県議会で発表した。また、辺野古埋め立てで大浦湾は汚染されてサンゴは死滅、魚はいなくなるということがまことしやかにに沖縄全域に広まった。これでは自民党から立候補すれば落選するかもしれないと翁長氏は思ったのだろう。知事選挙に勝つことを最優先した翁長氏は辺野古移設容認の自民党を離党して左翼と合流してオール沖縄を結成した。そして、辺野古移設反対を知事選の公約にした。
自民党を離党した翁長氏はオール沖縄を結成して左翼と合流した。保守と左翼の合流政党を結成したのである。
オール沖縄から翁長氏は辺野古移設反対を掲げて知事選に立候補した翁長氏は知事選に大勝した。
翁長雄志氏(64)が36万820票
仲井真弘多氏(75)26万1076票
翁長氏が9万9744票差の大差で当選
辺野古移設反対の知事が当選したのである。しかし、仲井間知事は翁長氏が知事になる前年の2013年に辺野古移設を承認した。仲井間前知事の承認を翁長知事が取り消すことはできない。翁長知事が辺野古埋め立てを阻止することはできない。翁長知事の後任のデニー知事も埋め立て阻止に努力したが阻止することはできなかった。できるはずがない。
翁長氏は辺野古移設を容認しても県知事選に当選していただろう。移設反対派の嘘に騙されて移設反対を選挙公約にした翁長氏である。翁長氏は知事になりたいばっかりに反対派の嘘を信じたのである。
2018年に翁長知事は死亡した。翁長知事の政治を継いだのが玉城デニー氏である。辺野古移設反対の翁長・玉城知事の8年間で、県議会は野党の自民党が過半数になり、県の10市の市長が自民党になった。そして、衆議院選では全4議席を自民党が独占したのである。
県民は確実に左翼から離れている。
2026年3月16日、沖縄県名護市辺野古沖で米軍基地移設工事に反対する市民団体の抗議船「平和丸」「不屈」の2隻が転覆し、生徒1人と船長1人が死亡、計16人が投げ出された。船長は反基地活動団体関係者であり、SNSや報道で共産党との関係が指摘されたが、党側はコメントを控えた。
メディアは転覆した原因として風速4メートを問題にしているが、ボートは長嶋・大浦湾を転覆しないでスムーズに移動している。転覆の原因が風速4メートであったなら転覆した場所につく前に転覆していただろう。しかし、転覆していない。
転覆した原因は深い場所からやってきた波が環礁にぶつかって急激に高くなって白い波が発生する場所にボートを移動させたからである。絶対に行ってはいけない場所に行ったのである。
埋立地全体を見せるため白い波のある場所にいったのだろう。船長は前を見ないで横の埋め立て地のほうを見ていたのであろう。
船長はボートの安全よりも埋立地を見せて辺野古移設反対の主張することを優先させたのである。
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