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・・・・・・辺野古は終わった・・・・・・

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・・・・・・辺野古は終わった・・・・・・</font >

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2024年

L内なる民主主義34」より</font>


6月18日

でっち上げた嘘が嘘であることを県民が知ったから与党は敗北した


 政府は、辺野古移設は辺野古を管轄している島袋名護市長と合意した。辺野古埋め立ては仲井間知事と合意した。だから、辺野古移設は決まっていた。決まっていた辺野古移設に反対して県知事になったのが翁長雄志氏である。辺野古移設は県知事が阻止することは不可能である。不可能であることを可能であるように巧みな嘘をついて県民を信じさせたのが翁長氏であった。このことを2016年8月出版の「内なる民主主義8」に掲載した。

○翁長雄志は県知事になりたいために県民を騙した

もし、翁長知事のアイデンティティ論がなかった場合は翁長知事と革新が連携することはなかった。革新も知事選に立候補を出し、選挙は仲井真候補、翁長候補、革新候補の三つ巴戦になっていた。


仲井真候補・・・辺野古移設・・日米安保容認

翁長候補 ・・・県外移設 ・・日米安保容認

革新候補 ・・・閉鎖・撤去・・日米安保廃棄


三つ巴戦では自民党県連から脱退した翁長候補は不利だった。自民党県連支持者の多くは仲井真候補に投票するだろうし、革新支持者は革新候補に投票する。翁長候補が知事選に勝つためには革新の票が必要だった。そのためには革新と連携する必要があった。しかし、日米安保容認・普天間飛行場県外移設の翁長知事と日米安保廃棄、普天間飛行場閉鎖・撤去の革新では連携することはできなかった。だからといって公約を県外移設か閉鎖・撤去に統一することもできなかった。実はオール沖縄の建白書には閉鎖・撤去の文言があり県外移設はない。もし、オール沖縄の主張を選挙公約にするなら閉鎖・撤去であったが、翁長知事は建白書に書かれている閉鎖・撤去を主張したことはなかった。保守としての自負がある翁長知事は日米安保廃棄イデオロギーによる閉鎖・撤去を嫌っていた。だから建白書の閉鎖・撤去ではなく県外移設を主張した。

革新の票がほしい翁長知事は県外移設、閉鎖・撤去の主張を固定したまま連携する方法を考え出した。それが沖縄アイデンティティである。普天間飛行場問題の解決方法が違うのだから翁長知事と革新は連携することができないが、イデオロギーを腹六分に押さえた沖縄アイデンティティならば団結できるというのが翁長知事の理屈であった。共産党は全国組織であり沖縄アイデンティティなんてあるはずがない。しかし、共産党は翁長知事のアイデンティティ論に賛同し翁長候補支持を決めた。他の革新政党も翁長候補支持にまわった。

沖縄アイデンティティで中央政府と対決するのだと翁長知事は言ったが、辺野古移設が決まる前だったら中央政府と対決をし、移設に反対して辺野古移設を阻止することができた。実際、県が反対している間は辺野古移設は決まらなかった。県が賛成したから辺野古移設が決まった。県知事、名護市長、辺野古区長が移設に賛成し、辺野古移設は2010年に政治結着した。政治的決着をした後は県知事が辺野古移設を止めることはできない。政治決着をしたから防衛局は埋め立て申請をして県が申請を承認した。

ところが翁長氏は知事になるために革新と手を組み、自分が当選したら辺野古移設を阻止できると公言して、県外移設でもなく閉鎖・撤去でもない辺野古移設反対を選挙公約にしたのである。

根本的な問題は普天間飛行場の危険性除去である。県外移設を公約にして辺野古移設反対を主張するならおかしくはないが、普天間飛行場問題の解決策を掲げないで辺野古移設反対だけを選挙公約にするのはおかしい。それは普天間飛行場問題の放棄である。もうそれは政治ではなく人気取りである。翁長雄志は政治を捨て人気を取ることによって県知事になったのである。

革新はなぜ翁長知事と連携したのか。革新は知事選に独自の候補を立てても当選する確率は低かった。独自の候補を立てて落選するよりも翁長候補と連携して、翁長候補を当選させたほうが革新にとってメリットがあった。

革新は自分の損得で翁長知事と連携したのであって沖縄アイデンティティは関係がない。


自民党から脱退した翁長氏と連携して翁長知事を誕生させたことに自民党いじめが最上の喜びである志位共産党委員長はご満悦になり、今度は沖縄での成功を国会でも目論んでいる。安全保障関連法廃止を目指す野党連立政権「国民連合政府」構想を描いて民主党など野党結集を働きかけているのだ。「国民連合政府」樹立のためには「日米安全保障条約の廃棄」「自衛隊の解消」などについて党の方針を「凍結」させるとも言っている。党の根本的な方針を凍結させるというのは大きな方針転換である。共産党はこれまで他党との選挙協力とは距離を置く独自路線だった。だから全選挙区に独自の立候補を立てた。他の野党も社会主義革命を目指している共産党とは距離を置いていた。

その共産党が「国民連合政府」構想を描き、安全保障関連の廃止で認識を共有する野党間の選挙協力を進めるという方針を立てたのである。

このような戦略の始まりが沖縄県知事選だったのである。国会では「安保関連法案の廃止」の一点を目的に『国民連合政権』をつくろうとしている共産党は沖縄知事選では辺野古移設阻止の一点だけで翁長知事と手を組んだのである。


実現できない辺野古移設阻止を選挙公約にした翁長知事は沖縄県民をだましている。

          「内なる民主主義8」

県知事が辺野古移設を阻止できないのに阻止できると県民に信じさせた。それに辺野古の海が埋め立てで汚染されることはないのに汚染されると信じさせた。翁長知事がでっち上げた嘘が嘘であることを県民は知った。だから、辺野古埋め立てに賛同する県民が増えた。辺野古埋め立てに賛同する県民が増えたから辺野古移設反対派の与党が県議選で敗北したのである。

6月21日

沖縄県議会選で敗北したのは共産と立憲だけ マスメディアは報道しない

 沖縄県議会選はデニー知事与党が24議席から20議席に大敗したとマスメディアは報道した。与党は単一党ではない。共産、立憲。社民、社大の4党に無所属がいる。その中で議席を減らしたのは共産と立民だけである。

共産 7 4

立民 4 2

社民 2 2

社大 2 3

無所属 9 9

 マスメディアは与党が大敗したと報道するだけで、大敗したのは共産党と立憲の二党だけが議席を減らしたことが原因であることを報道しない。共産党と立憲だけで5議席減らしている。与党の大敗の原因は共産党、立憲にあるのだ。社大党は1議席増えていて共産、立憲以外の合計は1議席増えている。沖縄県民は共産と立憲にNOをつきつけたのである。自民は全員当選した。


自民 18 20

公明  2  4


メディアは"裏金"問題を抱えて支持率低迷は続き全国的には選挙で軒並み苦戦している自民党が沖縄県議選で勝利したのは、「国政」とは関係なく「沖縄独特の理由」によるものであると述べている。沖縄の選挙は"地域選挙であり、沖縄県議選で自民党が勝ったからと言って、全国的に自民党の支持率が上がるものではないと述べている。メディアは自民党のことについては説明しているが共産、立憲が半減したことについては一言も触れていない。


共産と立憲は強く連帯している。その共産、立憲だけが沖縄で大敗北を喫したのである。

 両党を勝利させたのが埋め立て前の辺野古である。そして、敗北させたのが埋め立て後の辺野古である。


県議選で辺野古が終わったことをはっきりさせたのだ。





8月16日

辺野古移設反対運動で初めて死者が出た 原因は牛歩運動


辺野古埋め立てが進むにつれて埋め立て反対の県民は減っていった。

辺野古移設については、最高裁判決で、玉城デニー知事が軟弱地盤の改良のための設計変更を承認する義務を負うことが確定した。にもかかわらず判決に従わなかったため、国は承認を代執行し、工事は1月に着手された。さらに2月末には、代執行のために国が起こした訴訟で県の敗訴が確定した。

埋め立て反対のデニー知事は裁判で敗北したのだ。政府が埋め立ての執行権を県から政府に移す代執行権利を最高裁は認めたのだ。それに加えて、県会議員選で埋め立て容認の自民党が勝利した。辺野古埋め立ては法的にも政治的にも阻止することが不可能であることがはっきりした。デニー知事派敗北し辺野古は終わったのである。


ところが辺野古容認が決まった県議会選挙の12日後に名護市安和で辺野古埋め立て反対運動の犠牲者が出た。犠牲者は反対運動家ではない。警官でもない。民間の警備員でぁる。辺野古埋め立て反対運動で死者が出たのは初めてである。

死者が出たのは辺野古ではない。名護市安和である。辺野古とは反対の西海岸で犠牲者が出た。安和は土砂の搬出港である。反対派は港の出入り口で牛歩戦術でトラックの出入りを邪魔していた。


牛歩戦術とは車道をゆっくりと横断してトラックを停める戦術である。横切るときに停まったら違法行為であるがゆっくり歩くのは違法ではないという。牛歩戦術は効果があり、土砂を運ぶトラックが立ち往生する。運ぶ土砂はかなり減る。牛歩戦術は埋め立てを阻止することはできないが遅らすことはできる。埋め立てを遅らすのが目的の牛歩戦術である。


反対派は牛歩戦術で土砂運びを遅らせることを勝利としている。アホらしい。



◎反対派は埋め立てを遅らすのを目的にして牛歩戦術の運動を展開しているが、政府も米軍も埋め立てが遅れることを気にしていない。遅れても困ることはないからだ。普天間飛行場を辺野古に移設することが政府の本当の目的ではない。

 自民党政府が辺野古移設を決めたのは反米軍運動を鎮静化するのが目的だった。

1995年に三人の米兵による少女暴行事件が起こった。それを発端に沖縄の米軍基地に反対する運動が激しくなっていった。翌年には8万5000人の沖縄県民総決起大会が開かれた。反米軍運動がこれ以上高まっていくことを恐れた自民党政府は運動を鎮める方法として普天間飛行場の移設を考え出した。

県内は普天間飛行場の国外、県外、県内などの移転に関心は移った。辺野古移設は県民の反米軍感情を抑えるのが目的である。反米感情が高まらなければ辺野古に早く移設する必要はない。


移設反対派が移設阻止ではなく、移設引き延ばしの牛歩戦術を展開しているのは政府の望むことである。

米軍は辺野古に移設したくない。辺野古は海に囲まれているからだ。暴風などの塩害で戦闘機の被害は大きい。できるなら普天間飛行場に留まりたいのが米軍の本音である。しかし、日米政府が辺野古移設を決めた。米軍は政府の決めたことに従わなければならない。牛歩戦術で移設が伸びるのを米軍は歓迎している。


辺野古移設反対派が牛歩戦術を展開している港で死亡事故が起こった。事故が起こったのは港の出入り口である。

真っすぐな国道であったなら事故は起こらなかっただろう。港の出入り口であったために事故が起こったのである。道路は広いし写真では事故が起こるような場所とは思えない。しかし、事故は起こった。


反対派の牛歩戦術によるトラックへの接近は異常なほど接近していた。事故が起こる可能性が高かった。だから、土砂を運ぶ会社は県に「安和桟橋歩道部へのガードレール設置や、本部塩川港への立ち入り禁止、警察の派遣などを県に何度も申請した。しかし、県は「法的根拠がない」いう理由で会社の要請を無視した。県は反対派の牛歩戦術を放置したのである。会社は事故を起こさないために独自に警備員を雇ったのである。事故を防ぐために雇った警備員が事故に巻き込まれ死んだのである。






8月20日

警備員の事故死 辺野古移設反対運動はますます県民の支持を失う


 辺野古埋め立ての土砂の運搬をしている安和桟橋の出入り口で埋め立て反対運動による死者が出たのは辺野古埋め立て反対運動にとって大きなマイナスである。。

 5月18日には県議会選挙で辺野古移設反対派の与党は大敗した。大敗した12日後の死亡事故である。県民は辺野古埋め立て反対運動をますます支持しなくなるだろう。

 

 キャンプ・シュワブではゲート前に老人たちが椅子を並べて座って、入ってくる土砂ダンプを停める。ダンプを通すために機動隊が椅子の老人たちをゲートから排除する。座り込みでダンプを停めるのは違法行為である。だから、機動隊が老人たちを排除することができる。しかし、安和は排除することができない。座り込みではなく出入り口をゆっくりと歩くからだ。牛歩戦術は違法ではないからだ。

 牛歩による抗議活動が行われてきた名護市安和(あわ)の国道では令和4年12月以降、事業者側から何度もガードレールの設置を求める要請が県にあった。事業者側は費用を負担するのでガードパイプを設置させてほしいと要請もした。だが、県は「歩道であることからガードレールを設置する予定はない。事業者によるガードパイプの設置は歩行者の横断を制限することになる」として認めなかった。


 県は安和に隣接する本部町の本部港塩川地区に「大型車両の往来を妨害する行為」などについて、県港湾管理条例で定める禁止行為に該当する旨を明記した警告看板を2枚設置した。禁止行為を行った場合は「条例に基づき過料を処することがある」と警告した。辺野古埋め立て反対運動をしている団体から「なんで過料を科すのか」などと反対された県は看板を撤去した。辺野古反対派の圧力に負けて、県は警告看板を撤去したのだ。


 安和、塩川の辺野古埋め立て反対運動に県の指導はことごとく反駁されて、県の方針は崩れた。県の指導を覆すことができるのが安和の反対派である。阿波の辺野古埋め立て反対運動を主導しているのは共産党である。共産党だから県の規制を跳ね返し、県に圧力をかけ事業者が自己負担するのでガードレールを設置させてくれという要請さえもはねつけたのである。

共産党はデニー知事県政のリーダー的存在である。辺野古移設に関する政策は共産党の影響が強いのだ。牛歩戦術は共産党のやりたいようにできるのだ。

 「やりたいようにやる」と言っても違法なことはやらない。共産党は法律を徹底して遵守する運動をやる。安和での牛歩運動は徹底して法律を違反しない運動であった。だから、県の規制も法律を守っていることを根拠に跳ね返したのである。しかし、順法である牛歩戦術で死者が出た。警備員が死亡した原因は牛歩戦術であることは事実である。

埋め立て反対運動は「今回の事故の原因は、防衛局が工事を急がせるために、ダンプの回転を早めるよう無理を強いたことにある」と事故の原因は防衛局にあると主張している。「現場で抗議運動に参加している市民には、非難されるべき事情は全くない」として、「民意と憲法に従い、安全に配慮した抗議運動を尊重すること」を防衛局に求めた。


 県議会選挙で辺野古移設反対を主導してきた共産党は7議席から4議席と激減した。与党も大敗して、過半数割れになった。辺野古移設反対に固執したデニー知事の与党は敗北したのである。

 死亡事故の責任は防衛局にあり、牛歩運動をしている市民に責任は全くないと政府を非難しても牛歩運動が警備員の事故死を招いたことは明らかである。牛歩運動と警備員の事故死を切り離すことはできない。牛歩運動には関係ないことを説明して弁解しても辺野古埋め立て反対運動への県民の支持はますます低くなるのは確実である。


 70%以上の支持があった辺野古移設反対は今では県会議員選で大敗するほどに県民の支持を失っている。警備員の事故死によって牛歩戦術も県民に反発されているだろう。辺野古移設反対に固執すればするほど県民の支持を失っていくだけである。

 


  

7月4日

米兵の少女性暴力を反米軍基地政治運動に利用するだけの沖縄


 米兵の少女暴行事件を県警は被害者のプライバシー保護などを理由に公表しなかった。、県への報告もしなかった。県警が公表を控えたのは少女の二次被害を防ぐのが目的である。公表をすれば県民が知ることになり、少女の素性も知られるようになる。米兵に性的暴行をされた少女として世に知られる。世間の噂になり、道場と非難がくりかえされる。それが二次被害である。二次被害のほうが少女にとつては苦痛であるだろう。県警は二次被害を防ぐ目的で県に公表しなかった。しかし、玉城デニー 知事は、

「県に事前に情報がなかったことは非常に問題だと考えている。強く抗議・要請を行いたい」と述べて、政府、警察を批判している。しかし、デニー知事の批判があっても県警はこれからも公表しないことを断言した。警察の方針に賛成である。以前は性被害はすぐに公表していたし、報道も自由に取材していた。だから、性被害の女性が誰であるかも世間に知れ渡った。そのために、性被害女性の二次被害はひどかったはずである。しかし、二次被害の実態はほとんど報道されることはなかった。マスコミは派手な反米軍基地運動を報道するだけで、被害女性の二次被害を真剣に考えて報道することはなかった。だからマスコミは二次被害の片棒を担いでいたといってもいいだろう。今でもマスコミは二次被害については無視している。二次被害のことを報道するマスコミはない。


1995年9月4日にに米兵3人が女子小学生を拉致し集団強姦した事件があった。沖縄本島北部の商店街で買い物をしていた女子小学生(12)を拉致した。小学生は粘着テープで顔を覆われ、手足を縛られた上で車に押し込まれた、その後近くの海岸に連れて行かれた小学生は強姦された。同年10月21日には、宜野湾市で、事件に抗議する県民総決起大会が行われ、大田昌秀沖縄県知事をはじめとする約8万5千人(主催者発表)もの県民が参加した。性被害が原因で8万人以上の県民大会は歴史上初めてであった。


私が気になったのは被害少女と家族のことだった。あれだけ派手に報道されれば少女も家族も周囲の人に知られる。学校でも知られただろう。県民大会まで開かれたから超有名になっただろう。これではまともな生活をすることができないだろうと思った。同じ場所に住み続けるのもむつかしいと思った。


性暴力の被害者が自殺しようとしたこと。沖縄に住むのをやめて本土移転したことなどを聞いたことがあった。だから、性被害を受けた少女の家族は移転するだろうと思った。思ったが、そんなことに関心のあるマスコミはなく、少女の家族のことが報道されることはなかった。少女の家族が性被害で苦しみ悩んでいるという報道は一切なかった。性被害を非難することよりも米軍基地撤去の主張が高まっていった。


米兵による少女暴行事件は太田県知事も参加した。8万5千人(主催者発表)もの県民が参加した大会になり、沖縄の米軍基地に反対する運動や普天間基地の返還要求、基地の整理縮小や地位協定の見直しを要求する運動が広がっていった。

この運動を押さえる方法として日本政府が考え出したのが普天間基地移設であった。普天間飛行場の移設案が提案されると一気に少女性被害を根拠にした米軍基地反対運動の高まりは収まり、普天間飛行場の移設問題に集中していった。移設先は国外、県外、県内など候補が上がった。最終的に辺野古への移設が決まった。

普天間飛行場を辺野古移設にきまったのは1995年の米兵の少女性暴力が原因であった。


7月6日

「米兵米兵」はまるで戦前の「鬼畜米英」のようである


私は米兵をほとんど毎日見ている。米兵と書いているから軍服をつけているイメージになるだろうが、軍服をつけている米兵を見たことはほとんどない。米兵の中でも戦闘員は一部である。以前、隣に米兵の家族が住んでいた。妻は沖縄の女性だった。米兵は戦闘員ではなく整備士であった。いわゆる普通の人だった。戦闘員であっても仕事が終わって、家に帰れば私服を着る。だから、軍服をつけた米兵を見たことはない。私服の米兵は毎日見る。

近くにマックスバリュウーがある。マックスで買い物する時に必ず米兵を見る。夫婦やなどの家族の米兵が多い。近くにマンションがあり、マンションに住んでいる米兵の家族がマックスに買い物に来るからだ。マンションだけでなく普通の家に住んでいる米兵もいる。


昨日比謝川の河口を歩いていると、港でカヤックの漕ぎ方を教えているスクールがあった。生徒は全員女性であった。教師は英語を話していた。十数名の生徒は全員アメリカ女性であった。彼女たちは米兵であるか米兵の娘たちであるだろう。にぎやかに楽しく授業を受けていた。私はずっと米兵の姿を直接見てきた。私が感じていることは彼らが普通の人たちであることだ。

米兵が16歳の少女を性暴行したとして少女暴行事件を弾劾する大会が行われている。テレビニュースで大会の演説を聞きながら脳裏に浮かんだのは戦前の「鬼畜米英」だった。

「米人も英人も鬼畜である。鬼畜を退治するために日本は米英と戦争をする」と日本国民を戦争に駆り立てた。少女暴行弾劾大会は県民を米兵排除運動に借り立てるのが目的であるのが見え見えである。


大会に集まった市民は「米兵の女性暴行を許さない」「県民は怒っている」と気勢を上げて少女暴行事件を弾劾する。大会に集まった市民は米兵は沖縄の少女を暴行する鬼畜であると県民に信じさせようとしているのだ。

「女の子がどれだけ怖い思いをしたかと想像すると、やりきれない」「復帰前から米軍の性暴力は続き、今回もこれだ」『もううんざり』と叫びたくなる」と「繰り返される性暴力に」怒りをあらわにしたという。

玉城デニー知事は、「県民の安全安心な暮らしを守るため、全庁を挙げて取り組む」と述べている。

まるで少女暴行は米兵全員が加害者であるようである。しかし、少女を暴行したのは米兵の中の一人である。他のすべての米兵は加害者ではない。米兵一人だけが加害者である。他の米兵は加害者の米兵を非難しているだろう。


私が見てきた米兵全員が少女暴行をした米兵を非難するはずである。沖縄に住んでいる米兵の中で少女暴行をする米兵はほとんどいない。ほとんどは普通の人間である。

ところが少女暴行を非難する大会に集まった人々は沖縄のすべての米兵は少女暴行をした米兵と同じであるように主張する。米兵は少女暴行する。だから、米兵は沖縄から排除するべきだというのが彼らの主張である。

アメリカ軍兵士による女性への性暴力事件に抗議した集会の横断幕である。

米兵の少女暴行事件弾劾!の下に辺野古・大浦湾埋め立て阻止!とある。その下には日米安保粉砕と書いてある。


 集会は日米安保に反対である反米主義の大会であるのだ。だから、少女暴行をした米兵だけでなく米兵全員を沖縄から排除するのを目的としている大会である。この大会を主導したのは共産党だろう。



7月10日

日米安保粉砕のために米兵の少女暴行弾劾する大会


米兵による少女暴行を弾劾する大会の垂れ幕には「辺野古・大浦湾埋め立て阻止」と「日米安保粉砕」を書いてある。大会は米兵の少女暴行だけでなく辺野古埋め立て阻止、日米安保粉砕を掲げている反米主義の団体が主催した大会である。米兵の少女暴行を弾劾するのを目的にした市民団体ではなく反米主義の左翼団体である。


 少女暴行をしたのは一人の米兵である。他の米兵はやっていない。しかし、あたかも米兵の誰もが少女暴行をやると決めつけている大会である。そのような主張になるのを垂れ幕の安保粉砕が示している。この大会を主催した団体の本当の目的は日米安保粉砕である。安保を粉砕する方向に展開できるものとして米兵の少女暴行弾劾があるのだ。

 日米安保粉砕を主張するのは反米主義の左翼である。左翼が米兵の少女暴行弾劾を利用して安保粉砕の運動をするために開いた大会である。


 反米主義だから沖縄のすべての米軍基地撤去を主張する。だから、米軍基地建設のための辺野古埋め立てに反対である。少女暴行をしたのはブレノン・ワシントン(25)という米兵である。彼は米兵の中の一人である。米兵が少女暴行をしたというのではなくブレインが少女暴行をしたということである。少女暴行はブレインという男がやったことであって他の米兵には関係がない。しかし、少女暴行弾劾大会では米兵がやったことを強調し、米兵全員が少女暴行をやるというイメージを作り上げている。


 少女暴行を弾劾する大会では米軍関係者による性犯罪が後を絶たない沖縄の現状に憤りを示し、「普通の暮らしを返せ」などとシュプレヒコールを上げた。また、沖縄出身でジェンダー学を専攻する大学院生の島袋里穂さん(28)が登壇し、性犯罪が被害者の心に与えるダメージは長く続くと強調。「被害に遭っているのは私と同年代の女性たち。それからずっと若い小さな女の子たち。もううんざりです」と声を振り絞った。「綱紀粛正、こんな言葉は聞き飽きました」「尊厳を繰り返し踏みにじり、謝罪すらしない米軍。もはや沖縄から出て行ってもらうしかありません」とする抗議決議文を採択。軍隊の配備の拒否や、米軍が絡む全ての事件・事故の公表などを求めた。

報道では沖縄県内では米軍関係者による性犯罪が繰り返し起きてきたと述べ、県警によると、1972年の日本復帰から23年までの間に、現在の不同意性交等にあたる容疑での検挙件数が少なくとも134件と書いてある。そして、米軍側は綱紀粛正と再発防止を誓うが、根絶にはほど遠いと述べている。

 もし、沖縄の男性が性犯罪を一切やらないで不同意性交等で検挙されたことが一件もなかったとしたら彼らの主張は正しい。しかし、現実は違う。米兵の性犯罪より沖縄の男性の性犯罪のほうがはるかに多い。

 性犯罪の原因は男性の性欲である。米兵であれ沖縄人であれ男性の性欲は同じである。沖縄は沖縄男性のほうが米兵よりはるかに多い。だから、沖縄男性の性犯罪が米兵の性犯罪よりはるかに多いのは確実である。

 大会では性犯罪が被害者の心に与えるダメージは長く続くと述べているが、加害者が米兵であろうと沖縄人であろうと心に与えるダメージは同じである。加害者が沖縄人であればダメージはないというのはあり得ない。少女の性被害を問題にするなら沖縄人による少女の性被害の全体数を出すべきである。米兵による被害を問題にして沖縄人による性被害を問題しないのは性被害を問題するのではなく米兵が沖縄に存在することを問題にしているからである。


集会では「綱紀粛正、こんな言葉は聞き飽きました」「尊厳を繰り返し踏みにじり、謝罪すらしない米軍。もはや沖縄から出て行ってもらうしかありません」と米軍基地撤去を主張している。

米兵の少女暴行事件を弾劾する大会の本当の目的は米軍基地撤去、日米安保粉砕である。米兵や沖縄男性による少女暴行事件を弾劾するのが目的だけの大会を開くようなヒューマニズムな活動組織は沖縄には存在しない。


7月13日

騒いでいるのは県民ではない反米軍基地運動家たちだ


 米兵の少女暴行事件弾劾は少女を暴行した米兵を弾劾するのが目的ではない。米兵の少女暴行を口実に米軍全体を非難し、米軍を沖縄から撤去することを主張するのが目的である。

少女暴行弾劾集会では「綱紀粛正、こんな言葉は聞き飽きました」と述べ、「尊厳を繰り返し踏みにじり、謝罪すらしない米軍。もはや沖縄から出て行ってもらうしかありません」と米軍撤去を要求する抗議決議文を採択するのである。

 弾劾を開いて米軍と日米政府に抗議しているのは日米安保廃棄を目指している団体である。

米兵少女暴行抗議は米軍撤去運動を展開するための口実である。このことを多くの県民は知っている。だから、彼らの集会には参加しない。だから、彼らは少ない数の集会を何度もやっている。報道は多くの県民が集会に参加しているようにイメージさせる記事を掲載している。多くの県民は集会に参加していないのだ。


県警は少女の関係者から110番があるとすぐに捜査をはじめた。防犯カメラなどからワシントン被告を特定し、米軍側に照会した。米軍の捜査機関と協力し、県警は3月11日に書類送検した。そして、27日に起訴した。同日の27日付で米側から日本側に被告の身柄が引き渡された。

県警の捜査から起訴までは適格な行動であり、問題はない。県警の事件への対応は適切である。

日米間の合意では、日本側に刑事裁判権があるケースで容疑者の身柄が米側にある場合、起訴されるまで米側が身柄を確保すると定めるが、「殺人又は強姦(ごうかん)」など凶悪犯罪であれば米側が起訴前の身柄引き渡しについて「好意的な考慮を払う」としている。今回は該当するケースだったが、日本政府関係者によると「捜査を実施できた」として引き渡しを米側に求めなかったという。

県警にとってワシントンは米兵ではない、少女を強姦した疑いのある男性である。操作の結果、ワシントンは日本の法律によって裁くべき人物であることが判明した。だから、起訴した。警察にとってワシントンが米兵であることは関係がない。少女暴行をした男かどうかが問題である。


県警は起訴し、7月12日に初公判が那覇地裁(佐藤哲郎裁判長)で開かれた。被告は「私は無罪だ。誘拐もレイプもしていない」と起訴事実を否認した。弁護人も「被告人は無罪だ」と主張した。つぎの公判は8月23日である。


 多くの県民は少女暴行はワシントンという米兵がやったことであって他の米兵とは関係がないと思っている。当たり前のことだ。


 1972年の日本復帰から23年までの間に、現在の不同意性交等にあたる容疑での米軍側の検挙件数が少なくとも134件であるという。

「米軍側は綱紀粛正と再発防止を誓うが、根絶にはほど遠い」がマスメディアの見解である。

 米軍の不同意性交を上げたときにマスメディアは絶対に沖縄県の男性による不同意性交は取り上げない。沖縄のほうが圧倒的に多いからだ。男の人口は米兵より沖縄県民のほうがはるかに多い。だから、沖縄のほうが不同意性交者は多い。それが明らかになれば米軍への不同意性交批判はできなくなる。だから、県の不同意性交者数は発表しない。

 去年、今年の不同意性交者数も絶対に発表しない。出すのは米兵だけである。それが沖縄の政治であるし報道である。