辺野古は終わった その1
辺野古は終わった その1
<center>
<img src="https://img03.ti-da.net/usr/h/i/j/hijai/辺野古写真1_LPg.jpg" width=450>
<img src="https://img03.ti-da.net/usr/h/i/j/hijai/辺野古写真2_dNB.jpg" width=450></center>
2015年出版<font size=3>
沖縄内なる民主主義6</font>
はじめに
名護市長選挙の時、県会議員が辺野古区で個別訪問したことが沖縄二紙に載った。戸別訪問をした議員は違法行為であることを知りながら戸別訪問したことを述べ、辺野古移設賛成派の拠点攻略が稲嶺候補が当選したことに大きく貢献したと手柄話のように述べていた。
県会議員が選挙違反したことを沖縄二紙が掲載したのだ。考えられないことである。
新聞を読んだ後に私の頭に浮かんだのは八重山教科書問題、普天間飛行場ゲート封鎖、バルーン風船揚げであった。
竹富町は明らかに無償措置法に違反している。普天間ゲート封鎖も米軍敷地内に侵入した違法行為であった。バルーン風船揚げは民間飛行場なら違法行為である。
革新は違法行為を繰り返している。違法行為をすることに平気なのだ。今まで個別に批判してきたので気が付かなかったが、県会議員の選挙違反を知った時、革新が違法行為を繰り返していることに気が付いた。
名護市長選での革新の選挙違反は辺野古区の戸別訪問だけではなかった。私たち素人には分からない多くの選挙違反をやっていた。国会議員、共産党、社民党、社大党とすべての革新政党や国会議員が選挙違反行為をやっていたのだ。
革新は違法行為を平気でやっている。沖縄を無法地帯にしている。ユーチューブの映像で革新勢力の選挙違反の数々を見た時、私は暗澹たる気もちになった。
革新の選挙違反は目に余るものがあるが、自民党も選挙違反をしているだろうから革新の選挙違反を告発したらブーメランとなって革新や沖縄二紙は自民党の選挙違反を猛攻撃するだろう。それが怖いから自民党はなにもしない。お互いに選挙違反のやり放題だろう。
選挙違反が蔓延しているのが沖縄の現実だ。
八重山教科書問題から名護市長選までの革新の違法行為について書いていったら、それだけでページは一杯になり「彼女は慰安婦ではない 違法少女売春婦だ3」「軍命令はなかったのに なぜ集団自決は起こったか2」のスペースがなくなってしまった。次の号に載せることにする。
十一月には知事選挙がある。知事選挙はクリーンな選挙をしてもらいたい。そのためにも私たち市民は選挙違反を見たら警察に通報しよう。
多くの市民が通報するようになれば警察も動くだろう。選挙違反を摘発し公正な選挙が行われることが、なによりも重要だ。
日本は議会制民主主義国家である。三権分立の国である。国、県、市町村はそれぞれ国民によって選出された首長や議員によって構成されており政治の仕組みはちゃんと整っている。日本は紛れもなく民主主義国家であり、沖縄県も日本のひとつである。沖縄県は民主主義社会である。そのことを踏まえて私たちは政治について考え、主張するべきだ。
民主主義社会だからといっても理想社会ではない。貧困、教育、社会保障、失業、老人介護等々、問題は山積みである。沖縄では米軍基地問題もある。それらをどのように解決していくかは、首相、内閣、国会、県知事、県議会、市町村長、議会が責任を負っている。大衆運動、市民運動で政府に訴えるのも政治改善の一つの手段である。
革新のやり方は民主主義のルールを逸脱している。沖縄社会をよくしていくための行動なのか疑問だ。反米主義・反保守主義に執念を燃やしているようにしか見えない。それで沖縄社会の未来を素晴らしいものにできるとは思えない。
<font size=3>
沖縄八重山日報 6/13(土) 6:01配信</font>
【視点】岐路に立つ沖縄の平和教育
6月は沖縄にとって鎮魂の月であり、23日の「慰霊の日」に向け、沖縄戦の歴史を振り返る取り組みが県内のさまざまな場所で行われる。 今年はとりわけ学校での平和教育にスポットが当たっている。いうまでもなく米軍普天間飛行場の移設先、名護市辺野古沖で3月に発生した抗議船転覆事故が、平和教育のあり方について大きな議論を呼んだからだ。 研修旅行で抗議船に生徒を乗せた同志社国際高校の平和教育に対し、文部科学省は学校の政治的中立を定めた教育基本法に違反するとの判断を下した。 学校の具体的な教育プログラムに対し、国が違法判断を下すのは異例中の異例と言える。玉城デニー知事は「教育への不当介入」、県教職員組合などは「平和教育が委縮する」と反発している。 だが、文科省は米軍基地問題や辺野古移設を平和教育の教材とすることまでは否定していない。米軍基地や辺野古移設に対する賛否両論をバランス良く学ぶ機会を生徒に与えるよう求めているだけだ。事故で亡くなった女子高生の遺族も、SNSで同じ趣旨の訴えを発信している。 同志社国際高の事例のように、反対派の視点だけに偏った平和教育の結果が、生徒を抗議船に乗せるという非常識な学習プログラムの設計につながった。事故の再発防止策を考える時、誰が見ても納得できる学習プログラムが組み立てられるべきなのは当然だ。文科省が教育基本法違反の判断に踏み込んだことは妥当である。 文科省の指摘を受け、学校現場は委縮するのではなく、より生徒の目線に立った、理解しやすい教育プログラムの構築に努めてほしい。 今回の問題にかかわらず、沖縄の平和教育が年々困難さを増しているのは事実だろう。最大の理由は、沖縄戦を体験した「語り部」が目に見えて減少していることだ。 現在40代から50代くらいの世代までは、学校の平和教育で沖縄戦体験者の話を普通に聞くことができた。爆撃の下を逃げ惑う県民、悲痛な叫びをあげる日本兵、バラバラになった遺体。悲惨な戦場を実際に知る体験者の証言は迫真性に満ち、子どもたちの心に戦争の悲惨さを強く印象づけた。 だが戦後80年以上が経ち、高齢化した体験者が次々と世を去る中で、子どもたちが戦場の様子を証言から直接「追体験」できる機会が永久に失われつつある。 同志社国際高の平和教育にしても、当初は沖縄で語り部の証言を聞いていたが、途中からメディア関係者の講話などに変更されたことが分かっている。 沖縄戦の体験をどう次世代に継承し「平和を希求する沖縄の心」をアピールしていくのか。教育現場は重大な岐路を迎えている。 だが平和教育の方法がどう変わろうとも、その目的は常に一つしかない。戦争を二度と起こさせないこと。これに尽きる。 過度にあおることなく、歴史的な事実を淡々と積み重ねながら、平和な日常生活がいかに尊いかを子どもたちに伝えたい。
このブログへのコメントはmuragonユーザー限定です。